ミラーとプリズム (1/4)
trash
恋、という名前が嫌いだ。
チャラチャラした名前よねえ。中学生のとき、クラスメートの女の子が私のいない場所でそう話しているのを、偶然耳にした。軽薄そうっていうかさあ。すごいお水っぽい。
そうか。私の名前はチャラチャラしていて軽薄で、ホステスの源氏名みたいなのか。休み時間は一緒に笑顔で話しているその子に、普段と同じトーンで陰口をたたかれていても、泡一つの反論も浮かんでこなかった。その時私は、彼女の言葉に絶対性を感じずにはいられなかったのだ。不思議なことに。
恋、という名前だけを切り取ってみれば、きょうび大して風変わりな名前でもない。有名人でも同じ名前を見たことがあるし、町を歩いている年の近い女の子にその名がついていても、違和感なんて覚えない。
ということは、あの日、わざわざ私の名前が取り沙汰されていたのは、ただ単に名前が気に食わなかったのではなく、もしかすると名前をこき下ろすことで、私自身の内面や言動、人間性を糾弾していたのではないか。そう考えるようになった。
そして、私の仮定は正しかったと証明された。数日後、またもや私は、放課後の人気のない教室で、自分の陰口が交わされているのを思いがけず耳にしてしまったのだ。
いいなあ恋。背が高くて羨ましい。――あの子、いっつも人のこと見下してそうよね。
恋って、髪綺麗だよね。編み込みも上手いし—―あの髪、毎朝どれだけ時間かけて作ってるんだろうね。
恋、いつもおしゃれだよね。—―あんなの、ただ目立ちたがりの勘違い女よ。
恋って。恋って。恋って……。
その場では、彼女たちの私に対する見解が、普段とまったくの正反対だった。私はその場から離れることが出来ずに、いつまでも物陰に突っ立って、彼女たちがけたたましく笑うのを何も考えずに聞いていた。その時も、憤りを覚えることはなかった。ただただ、彼女たちを惨めに思った。そう思い込まなければ、きっと喉がちぎれるほど叫んでいた。私は間違っていない。間違っているのはあいつらだ。卒業までの間、そんなマントラを延々と心の中で唱え続けていた。彼女たちは、普段の教室では何事もなかったかのように笑顔で接してきて、毎日飽きもせずに私の髪や小物を褒めちぎった。私は何も知らないふりをして、謙遜しながらも笑顔で応じた。そんな日々が、卒業するまで続いた。
何だ。ちょっと我慢したら終わったじゃない。私はそう思っていた。高校は、誰も知っている人がいない私立校にした。新しい環境で、また一から始めていけばいい。
しかしそれは、あまりに楽観的な考えだった。私の知らないところで、心は悲鳴を上げていたのだ。
入学式の日、体育館で隣に座る女の子が話しかけてくれた。どこの中学校? あの人カッコよくない? 何か部活に入るの? 私は彼女の質問にそれなりの笑顔で応えていった。そして、自己紹介やいくつかの会話を交わした後、私の目を見て、その女の子はこう言った。
『恋ちゃんって、すっごく綺麗な髪の毛だね』
まっすぐな笑顔だった。男の子が向けられたら、思わず顔を赤くするような。けれど、彼女の笑顔と言葉は、私をはっきりと不愉快な気分にさせた。
私は吐き気のようなものすら覚えながら、どうにか苦いものを抑え込んで彼女との会話をやり過ごしたけれど、喉元で、食道で、胃腸の中で、無数のムカデに這い回られているようなおぞましさに襲われた。
あいつらだ。そう思った。春休みを経て、新しい環境に身を置いて、何もかも振り切ったつもりでいた。けれど、あいつらの悪意は、私の心の隅の方で、石の裏にこびりついた苔のように密かに潜んでいた。そして突然目の前に現れたあいつらの醜い悪意は、不意を打つ形で私を絶望という名の谷底へと突き落とした。
私はその時初めて、自分はあの中学校時代のクラスメートたちにずっと蝕まれていたのだという事実を思い知った。そして、これがトラウマというやつなのね、と出来る限り自分を客観視するように努めた。そうしていくことで、現状を整理しようとしたのだ。
私は一人で、誰にも邪魔されずに私自身と向き合いたかった。そのために――馬鹿げた理由だと思いながらも――次の日から学校を休んだ。両親は随分心配したけれど、部屋から出ようとしない私に理由を追求することもなかった。
高校を休んでいる間、私は現実から目を背けたくて、本を読み、映画を見て、色んな音楽を聴いた。様々なフィクションに触れていき、作家や役者、架空の登場人物らの視点や感性を吸収しようと試みた。それらが現実とはリンクしていない世界の空想だとは思いながら、彼らの世界で起こった多くのホリブルな出来事に比べれば、自分の悩みなんて小さな、取るに足らないものだと言い聞かせていった。そうよ。他人がどう思っていようと、自分には関係ないじゃないの。あのとき私は、少なくとも表立って具体的な被害を受けることはなかった。陰で悪態をついていても、きっと彼女たちはどこかで私を畏れていた。自分たちよりもスタイルがよく、綺麗な髪をしていて、型破りなファッションを好んでいた私を、ある部分では確かに羨望の眼差しで見ていたはずだ。自惚れるまでもなく、自然とそう悟ることができるほどに、私に向けられていた視線には正直な感情が有されていた。
そして、幾分時間はかかったけれど、私の思考回路はそれまでと比べて徐々に内省的なものになりつつあった。あるいはこのときの休暇が、自分にとっての小さな転換期の始まりだったのかもしれない。
ずっと、自分に非はないと言い聞かせてきた。けれど私は、たとえば垢抜けない印象の友達を心のどこかで小馬鹿にしていたり、たとえば率直に自分の感じた物事の本質を――例えそれが他人を慮っていないような内容であっても――包み隠さず話してしまうような傲慢さを、誠実であるがゆえの美徳と勘違いしていたのではないか、と思い直すようになった。そのような現在と過去の価値観の乖離は、数え切れないほど見つかっていった。
そして、自分自身を一から洗い流していった。幾重ものフィルターを通して、自分自身の愚かな内面的資質を濾していき、自分自身をできうる限り刷新しようとした。彼女たちの存在や、耳にした陰口を忘れようとした。
学校を休んでいる間に、髪型をロングからショートにして、パーマをあてた。ファッションスタイルだって、シックで落ち着いたアイテムを取り入れるように意識した。それまでは何か思っていればすぐに口に出していたけれど、できるだけ自分からは物事の核心を突くようなことを言わないでおこうと心掛けるようにした。そうやって、過去の自分を塗り替えていった。持て囃されている一方、気付かないところで嗤われているような自分を、二度と掘り起こせないくらいに深い所に沈めていった。私自身の死と生誕が行われた奇妙な日々は、半月ほど続いた。
どうしても変えることが出来なかったのは、身長と、名前だけ。中身を取り換えることは出来ても、型ばかりはどうすることもできなかった。
だから私は、今でも百七十センチの身長と、自分の名前が嫌いだ。
二週間ばかりの個人的儀式を終え、私は意を決して学校に向かった。一人も知り合いのいない教室を想像すると、これまでにない緊張に襲われた。ずっと足が遠のいていた場所に改めて赴くことが、これほど疲労を覚える行為であることを初めて思い知った。
――そしてその日、私は初めて彼と出会うことになる。