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『同人女の感情』に感化されて、リア友の字書きと同人誌を作った話


「時間ある時でいいからさ…自分で書いた小説コピー本にして交換会せん?エセオフ会的な」

リア友のこの一言に端を発し、約1ヶ月半の時間をかけて、私と彼女は全身全霊をかけた遊びを始めることになりました。

企画の趣旨は単純明快。

二次創作で新しい小説を書き、設定された”エセオフ会“の当日に印刷・製本まで終わらせた新刊を持ち寄ること。

ルールは一つだけ。互いに同じ曲をテーマソングに設定し、それに見合った作品に仕上げること。それ以外は一切自由。字数制限も、CPも、シチュの縛りもなし。歌詞の引用などをしてもしなくても自由。ただテーマソングに合うように、それぞれの萌えを表現すべし…!

この記事は、私と彼女の全力のお遊びを通して、私が創作の本当の楽しさに気付くまでの記録である――

まえおき


簡単に自分たちのことを紹介したいと思います。

まず、私。青丹よし(←投稿時点。現:「四方山みなも」に改名済)。
小学生の時から小説を書いていて、というか自分の苦しみを吐き出す手段として小説を書かずにはいられない人間でした。小説家になりたいという夢をずっと捨てきれないでいます。

にもかかわらず、最後まで書きあげる力がないどうしようもない人間でした。そんな自分のことが大嫌いで、けれど一生このままなのだろうと諦めていました。

そして、リア友。仮にAと呼ぶことにします(HN:A子)。Aは創作に対する悩みや喜びを分かち合える唯一の友人です。

そんな風に言うと、私とAは何かとても文学的なつながりで出会ったかのように思えますね…。しかし、現実には私と彼女との出会いは殴る叩くの運動競技だったので、今やっていることとのギャップがすさまじくて笑ってしまいます。

なぜこうなったのかと言えば、私がAに小説を書いていることを打ち明けたときに、彼女もまた、自分が或るソシャゲジャンルで二次創作をしていることをカミングアウトしてくれたからです。その時点では私は二次創作をしていませんでしたが、数か月後、無事に沼に堕ちることになり、今に至ります。


私たちはお互いに別ジャンルの字書きをやっていますが、大事な同好の士です。
(正確には、私はもう自ジャンルでの投稿はしていませんが)


事の発端


それはある土曜の昼下がりのこと。

私「同人女更新されたね」
A「読んだ」
   「よかったね…」

私が二次創作にどっぷりハマっていた頃、なんの因果か、『同人女の感情』というWeb漫画がTwitterで話題となっていました。

二次創作に関わる腐女子(字書き)の悲喜交交を描いた漫画です。その白熱した人気によって書籍化までされ、もちろん私も購入しました。おけ綾最高。

字書きになったばかりだった私も、この漫画には共感するところが多く、心を抉られながらも救われることもあり、更新をとても楽しみにしていました。


そんなある日に更新されたのが、このエピソード。

※以下、読んでいない方はネタバレ注意

斜陽ジャンルに身を置いている字書き、友川の話です。ジャンルの人口がどんどん減っていき、他ジャンルの楽しそうな様子と比べて辛くなっている彼女の葛藤が描かれています。

そんな彼女を救ったのが、友川以上のド過疎ジャンルで活動しているみつばの言葉でした。

「例え周りからの評価がなくても 頑張って書いた本は自分にとっての神本になるんです 自分の宝物を自分で作れるなんてすごいことですよね!」

みつばの、自ジャンルと創作に対するひたむきな愛に勇気づけられ、友川はようやく自分の本に向き合うことができたのです。


みつばの台詞にいたく感銘を受けた私は、しみじみとAに言いました。

私「確かに自分で書いた同人小説って宝物だな」

すると、Aはこう返してきました。

A「あのさあのさあのさ 一個やりたいことあるんやけど」

「時間ある時でいいからさ…自分で書いた小説コピー本にして交換会せん?エセオフ会的な」

…かくして冒頭に繋がるわけです。

私たちは共に、ひっそりと小説を投稿しては、顔の見えないネット上の同士に読んでもらっていただけだったので、イベントになど出たこともなければ、頒布するような同人誌を作ったこともありませんでした。

だから、2人だけの同人誌交換会はとても胸躍る提案でした。

そこから私たちは、LINEでああでもないこうでもないと、企画の詳細について話し合いました。

そんな中で、彼女はこう言いったのです。

A「今までの話コピー本にしてもいいし、新しく書くならテーマ決めても面白いかもね」
私「いやこれのために新しく書くとか…

  めちゃめちゃわくわくするじゃん…」

めちゃめちゃわくわくした私は、その後テーマについて考えすぎて寝付けず、深夜、再び彼女にLINEを送りました。

私「あまりにもワクワクして眠れないんだが…テーマ決めるならなんらかの曲をモチーフにしてもいいかもね」

A「めっちゃくちゃワクワクしてる子がいたわ笑 なるほどね〜テーマソングね」

そのような話し合いを経て、私たちは、来る11月下旬の某日に、2人きりのミニミニ即売会ごっこ(無料)を行うことにしたのでした。


自分の宝物を、自分で作るために…!!


立ちはだかる壁


テーマソングが決まり、私は早速多くの時間を妄想に充てました。

推しCPが生き生きと輝く物語の構想が、どんどん固まっていきました。結構壮大な長編になる予感がありました。

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(机の上がとっ散らかってますが、構成のメモの写真が出てきたので載せておきます。だいぶぼやかしましたが、結構情報量が多いのがわかってもらえるかと思います。)

けれど、私には少し気がかりがありました。

先述したように、私は圧倒的に書き上げる力がないのです。忍耐力がないと言ってもいいでしょう。

展開や表現に迷ったり、自分の力量や経験を完全に上回っているものは、すぐにさじを投げてしまうのです。リアルが多忙という言い訳もあるのですが、一次では本当にほとんど書き上げたことがありませんでした。

二次創作を始めてから、ようやく書きあげられるようになったものの、短いものを数本程度。手元にあるのは、明らかに長編になりそうなストーリー…。自分には書きあげられないかもしれないと思ったら、途端に目の前に暗雲が立ち込め始めました。

せっかく面白いストーリーの構想が固まってきたのに、書きあげられないかもしれない。だったらいっそ短い話を考え直そうか…

そんなことも考えました。けれど、できませんでした。

だって、誰よりも、私がこの話を読みたかったから…!

萌えの前には、諦めるという選択肢はすでになかったのです。


乗り越えた先で見た光


自己分析をするなら、私は細かい心情描写と回りくどい比喩を多用する作風でした。一次でも二次でも、登場人物の心の動きにひたすら焦点をあてるものばかり書いていました。手癖と言えば手癖です。

しかし、無謀なことに、私が書くことに決めたものは、まさかのアクションもの(何らかのパロディ)。

それまでの私なら、手癖で書けないものは書かなかったでしょう。

でも、書いたんです。

そのためにアクションの立ち回りや表現を勉強しました。
勉強しないと書けないものを、そうまでして自分が書いたことが驚きでした。


次第に〆切(オフ会当日)が迫ってきて、机にかじりついて文字を打ちました。

〆切まで10日を切った後、「3万6千字まで書いた」と言っていたAから「どうしても納得いかなかったからイチから書き直してる」というストイックな報告を受けたりもしました。

彼女も彼女で修羅場のようでした。
負けていられないなと、ますます私は机に向かいました。

そんなある日のことです。

終日休みにできたその日、私は1万2千字書きました。

夜になってようやく手を止めた私は、何気なく文字数を計算して目を瞠りました。

文字数を稼げればえらいというわけじゃありませんし、ずっと小説を書いている人たちからすれば何の自慢にもならないことはわかっています。

けれど、一つの尺度として、自分がたった1日の間に1万2千字も書くことができたことは、私にとっては相当衝撃的なことだったのです。忍耐力がない自分が、一日中机の前で液晶とにらめっこできたのですから。

あの夜のことは、きっとずっと忘れないと思います。

まだ細かい部分は端折ったり飛ばしたりしていて、完成には程遠かったですが、合計では3万5千字程度。
結末まで一通り書き終えて、ひとまず形が見えてきた状態でした。

一息ついて、自分の書いたものをたっぷり40分くらいかけて読み終えた私の心境は…

「ほえ~~~~~~!?!?😭」

でした。

「愛じゃん!?最高じゃん!?萌えるじゃん!?
私がずっと読みたかった推しCPってコレじゃん!?」

自画自賛ならぬ自字自賛(言いにくい)と言ったところでしょうか。

けれど、本当にそう思ったのです。

特にラストシーンがこの上なく気に入って、お風呂に入った後も、寝る前の布団の中でも、なんなら朝起きた後にも読み返しました。

そのくらい感激したのです。

内容そのものに対してもそうですが、
それ以上に、「自分がこれを書いたんだ!」という事実がとてつもなく私を喜ばせたのです。

「たとえ誰に否定されてもいい…
私が何度だって、この小説を読んでやる!!」

本気でそう思いました。初めて他者からの評価が必要なくなった瞬間でした。

まだ完成したわけではありませんでしたが、全てが救われたような気がしたのです。

もちろん、そこにいたるまでもかなり精神を削りましたし、
何ならここからのほうが辛抱が必要でした。

アクションシーンの補填にタイトルの決定、滑らかな終結に向けたエピローグ。
これらは私の苦手とする部分です。

それでも、私は自分を信じることが出来ました。

〆切ぎりぎりまで粘って、文章のチェックまでしっかり終わらせることができた私は、とうとう言いたかったあのセリフを言うことができたのです。

私「脱稿しました!!!!!」
A「おつかれ!」


4万6千字に及ぶ本文に、表紙とあとがきと設定資料。

すべてのデータを整えた私は、いざ行かん、セブンイレブンのマルチコピー機へ(めちゃくちゃ優秀)。

ちなみに私の方は、表紙は キヤノン 様のテンプレートをお借りしました。絵が描けないオタクにはとてもありがたかったです。↓↓

おうちでつくる同人誌
https://creativepark.canon/doujin/


かくして、夢にまで見た私のコピー本が、目の前に現れたのでした。

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(化粧裁ち中👆)


「か…」

「神本だ~~~~~!!!!!」


ついに、出会うことができました。


私の、大事な、宝物!!!!!


いざ、エセオフ会当日


とうとう、エセオフ会当日になりました。

Aに渡す用のコピー本を携え、私は約束の地へ赴きます。

ちなみに、私の方が土地勘がある場所だったので、

私「駅の改札まで迎えに行く?」

と当日LINEすると…

A「おはようございます!」
 「たぶん大丈夫だと思うんですけど…落ち合う場所とか決めといた方がいいですかね?」

私(うわ敬語気持ち悪…)

…そうでした、あくまでも”オフ会”。

「当日は初めて会った体で、呼び合う時もHN。本名禁止!」
という謎の縛りを提案したのは私でした。

そうして(顔を知っているにもかかわらず)互いの服装や特徴を教えあって、夢にまで見た(見てない)対面を果たした私たちは…

A「あの…もしかして、青丹よしさんですか?」
私「あ、A子さんですか!?」

リアルの人間からHNで呼ばれる、楽しい楽しい地獄の始まりです!

***

…それはさておき、早速私たちは某カラオケボックスの室内へ。

いよいよコピー本の交換です。私たちは徐にかばんから冊子を取り出しました。

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「「か、神本だ~~~~~!!!」」(2回目)

Aから渡されたAのコピー本は…ずっしりしていました。私が書いたものと同等、いやそれ以上の重量感…これは読みごたえがありそうだ…

さあ、読むぞ読むぞ~!

カラオケなのに静まり返った室内で、私たちはお互いのコピー本を交換し、黙々と読み始めました。今思えばとてもシュールです。

そんな状況だったので、数分と経たずにAが口を開きました。

A「なんか…音楽流しますか?」
私「あっ、そうですね!」


いそいそとリモコンを取り出した私たち。
そこで選んだのは、言うまでもなくテーマソングでした。某ドラマの主題歌にもなった人気曲。軽快なイントロが、何となく気づまりな空間を心なしか軽くしてくれます。

…心地よい音楽に包まれながら、やがてたっぷり一時間かけて(私が遅読なので)、私たちはお互いの本を読み終えました。

私「よかったです…!」


何よりも、自分とお互いのためだけに書いた小説。

正直照れもありましたが、読んだ感想も書いた感想も、率直にぶつけて受け止めることができる。人生で二度とはないような、楽しくて、幸せで、かつシュールな時間…。

その静かなカラオケの室内で、私たちは確かに満たされた時間を過ごしていたのです。


…そうして満足して、カラオケを出る時。

「あの…、最後に歌いませんか?」

どちらからともなく上がった提案でした。そうです、テーマソングのことです。

すり切れるほど何度も再生したメロディが、室内にもう一度流れ出します。

激エモでしたよ、もう。

推しCPのことや、丹精に描いたストーリーや、書いていた時の苦悩や喜びが全部蘇ってきて、胸が熱くなりました。

自分たちにとって、その曲が他の人よりも特別な意味を持つものになったことを強く実感しました。

私たちは、やり切った。


そうして、高揚感と満足感を胸に、私たちはカラオケをあとにしたのです――


【結び】私が二次創作から得たもの


件のエセオフ会を終えて、私は一連の出来事をずっと整理していました。私は、自分と言う人間が二次創作を始める前とは全く別の人間になったと強く感じていました。

まず、書き上げる力がなかった私が、二次創作を始めたことでようやく書き上げる力を得ました。

これは本当に劇的なことだったのです。

どんなに壮大な話でも、どんなに感動的な話でも、完成しなければ意味がないのです。完成させることができない私には、小説が書けるなんて言う資格がなかったのです。

ずっとそのことに劣等感を感じていて、私は小説を書く自分を忌み嫌っていました。

それが、二次創作を始めたことで覆りました。

なぜだったのでしょうか。短かったからなのか、読んでくれる人がいたからなのか。色々な要素がポジティブに働いた偶然の結果だったのだと思います。

しかし、どんなに短くたって、どんなに拙くたって、私は書けたのです。

そのたった一つの成功体験が、最終的に私に4万6千字のコピー本を完成させる力をくれました。


そして、二次創作が私にくれた最も大きなもの。

それは、創作の純粋な楽しさでした。

二次創作が著作権的に限りなく黒いこともわかっていましたし、人に堂々と誇れることではないことは重々承知しています。

キャラクターも設定もストーリーも借り物です。手放しに"私の小説"とは呼べません。

それでも、私は二次創作を始めるまで、創作というものがこんなに楽しいものだなんて、知りませんでした。

思えば、わたしにとって小説を書くこととは、自分の苦しみを架空の人間に代わりに吐露してもらうことだったのです。

昇華といえば聞こえはいいですが、当時の自分の小説をたまたま発掘したりすると、生々しい苦しみや憎しみがありありと伝わってきます。

だから小説を書かずにはいられなかったし、小説を書くことは即ち苦しいことでした。

それを証明するかのように、私は満たされている時は本当に何も書けなかったのです。

自分がこのような理由で書いているからこそ、小説を書くことを大っぴらに言える人間のことが、本当に本当に理解できなかったのです。

だけど、ようやくわかりました。

自分が小説を書いていることを言える人たちは、私よりずっと早くから知っていたのです。

こんなに楽しいものは他にないと。

彼らはきっと、創作が楽しくて仕方なくて、きっとこの楽しさを他の人にも知って欲しいくらいの気持ちだったのだと思います。

私はこんな簡単なことに気づくのに、何年もかかってしまいました。

二次創作を始めなければ、私は創作の純粋な楽しさに気づくことができなかったでしょう。

自分自身の手によって、自分の頭の中の世界に形を与えることができるなんて、知る由もなかったでしょう。

これに留まらず、私はこのエセオフ会が終わった後に、一次(オリジナル)の小説もなんと2本も書きあげることが出来ました。数時間で書ける超短編ではありましたが、成功体験をさらに裏付けることになったのは言うまでもありません。


ずっと創作を苦しいことだと思っていた私に、

Aが、二次創作が、同人誌が、『同人女の感情』が、読んでくれる全ての人たちが、そして推したちが、

創作の喜びを教えてくれたのです。一生の宝物をくれたのです。


たとえどんな駄作でも、駄文でも、解釈違いだとしても。

他でもない自分自身の手によって何かを作り上げることができる。

今更ながら知ることが出来た、その創作の純粋な楽しさをずっと忘れないように。そのために私はこの記事を書きました。


いつかこの楽しさを忘れてしまうことがあっても、私はここに戻ってきて、もう一度この楽しさを思い出したいと思います。

すべての創作者に、幸あれ。





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