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【超短編】ハーフなわたし
夏。
また寝坊した。
「幸村ぁ!何度目だ、お前!」
担任にしこたま怒られたあと、汗でじっとり濡れたセーラー服を貼り付けて席に着く。うちかて好きで寝坊してるわけやないのに。
愚痴らなやってらんない気分やわ、と1時間目の開始を待つ間に、隣の席で文庫本を両手でしっかり構えて読んでいる漆間さんにだる絡みを仕掛ける。
「漆間さんかて、寝坊して遅刻しそうになるときくらいあるやろ?」
漆間さんは毛先までピンと伸びるようなストレートヘアを微かに揺らして、うちの方を振り向いた。
「ない。わたしはいつも6時半ぴったしに起きて、8時ぴったしに学校に着く」
「すご!毎日?」
「毎日」
「寝坊したことは?」
「ない」
「8時1分に着いたことは?」
「ない」
ないない尽くしの漆間さんが、淡々とうちの問いかけに答えるうちに、うちはいたく感激するやら、だる絡みする相手を見誤って後悔するやらで忙しい気持ちになった。
ともあれ、今まで一度も寝坊したことないとは、これ如何に。
「すご!なんでそんなことできるん?」
「わたし、人間とロボットのハーフやから」
「それでか!便利やなぁ!ずるいなぁ!」
たはーと額を打って感嘆する。
「ロボットなんはお父さん?お母さん?」
「『お父さん』なんかは知らんけど、お母さんは人間」
「へー!他にもロボットの血が流れてて良かったこととかあるん?」
ロボットの血って何、オイル?と思いながら漆間さんの次の返答をワクワクしながら待つ。
「緊張したり上がったりしないのは、ええなぁ言われる」
「あー、でもそれはうちもそうやわ、緊張なんかせぇへん、呑気やから」
汗が引いてきて、よく効いているクーラーの風に体が冷やされていく。心地いい。
「じゃーさじゃーさ、計算とかも一瞬で出来るん?得意そうやん、ロボット」
「ううん、できない。数学が一番苦手」
「そこはお母さんに似たんか。難儀やなぁ…たしかに漆間さん数学最下位やったもんなぁ、うちのがまだできるわ」
漆間さんのクールで淡々とした態度が、いかにも「ロボットとのハーフ」というんを裏付けとるみたいでうちは嬉々としていたけど、意外と人間臭い一面もあるんやなとうちは可笑しかった。
「逆に、ロボットの血?オイル?が流れてて困ったこととかあるん?」
と聞くと、漆間さんは初めて何かを考えるように一瞬目を逸らし、頬に手を当てながらまた口を開いた。
「『未来ちゃんデリカシーないね』って言われる」
「漆間さん下の名前『未来』言うんか。どんなとこがデリカシーない言われるん?」
「中学んとき、健康診断の結果使うてBMIを計算する授業があってん。そんとき、隣の席の子のBMIが27やったから、『ちょっと痩せたほうがええな』言うたら怒られた」
「本人から?」
「本人と、その子の友達と、先生」
「大バッシングやな。うちはBMIいくつやったかな、確か16やったかな?」
「…」
漆間さんはこっちを見たまま急に押し黙った。
「何や、何も言うてくれへんの?」
「体型のことは、もう誰にも何も言わへんて決めてる」
「マニュアル人間やなぁ〜!痩せてる人には『もっと食べ!』言うてええんやで!難儀やなぁ〜」
気がつくと1時間目が始まっていたけど、耳の遠い数学のおじいちゃん先生やったから、うちらはそのまま話し続けることにした。
「他には?ええことでも悪いことでもええで?せや、ロボットやったら記憶力良さそうやん。テスト勉強とか余裕なんか?」
うちは漆間さんの話が面白くてしゃーなかった。漆間さんがどう思ってるのかは知らんけど、漆間さんが答えてくれるうちは漆間さんの言葉を聞き続けたかった。
「記憶力は良くない。幸村さんが思てるほど勉強は楽ちゃう」
「そこもお母さん譲りなんか、難儀やなぁ」
「あと、いつも決まった時間に寝てまうから夜なべも出来ん」
「そこはお父さん譲りなんか!難儀やなぁ…」
難儀やなぁ、難儀やなぁ言いながら、反対にうちの心ん中はええなぁええなぁと床を転げ回っていた。
「ええなぁ漆間さん。ごっつおもろいやん。漆間さんの話ずぅっと聞いてたいわ。うちなんか、何もあれへんもんなぁ」
もらいもんのシャーペンを上唇と鼻の間に挟んで、うちはヒョットコみたいな顔しながら頬杖をついた。眺める窓の外は、夏一色のびかびかの青空で、お日様の光跳ね返してるグラウンドが目に痛かった。
「何も?」
突然漆間さんから問いかけられて、うちはびっくりした。ここまで漆間さんは、うちが聞いたことに答えるだけやったから。
「そ、なーんもよ。成績も悪いし、態度も悪いし、さりとて運動もできひんし、人に自慢できる特技もあれへん。…漆間さんみたいにハーフでもあれへんしな!」
あひゃひゃ、と漆間さんに笑って見せる。漆間さんはこれまでもそうだったように、ピクリとも表情を変えずに、しかし確かにうちに聞きたいことがある様子で口を開いた。
「幸村さんのお父さんとお母さんは?」
「ん?人間や、人間。ただの人間。口うるさぁて忙しのぅて、普通の人間」
「ほなら、幸村さんは人間と人間のハーフや」
「は?」
漆間さんがあまりに珍妙なことを言うもんで、うちはうっかり小声になるのを忘れてしもた。前の席の男子がピクリと跳ねて右耳だけで後ろを振り返る。
「あ…あはは、何やの漆間さん。人間と人間のハーフて。それ普通やん。ハーフでもハーフベーコンでもなんでもあれへんやん、可笑しい」
至って真面目な顔をして漆間さんがそんなことを言うから、うちは笑いを堪えるのに必死やった。
「ハーフよ。幸村さんかて、お父さんとお母さんのハーフや。人間でもロボットでも関係あれへん。違うもん同士が出会うて結婚して、幸村さんが生まれた。お父さんとお母さんで半分こや。それはハーフやないの」
うちと漆間さんはしばらくじっと互いの目だけを見つめとった。漆間さんは、1ミリもふざけてなんてなかった。漆間さんは真剣やった。
「…そうか、うちもハーフやったんか。知らなんだわ、漆間さん」
「せや。お父さんの血とお母さんの血ぃ半分ずつ分けとるんや」
「運動音痴のお母さんから生まれてうちは運動苦手やし」
「せや」
「阿呆のお父さんから生まれてうちも馬鹿やし」
「せや。幸村さん悪いとこどりや」
「…未来ちゃん、デリカシーないな!」
と言ってうちが漆間さんを指差して笑うと、漆間さんは微かに笑ったようにうちには見えた。
「そうか〜。漆間さんにええこと教えてもろたわ〜…」
そう言うた後、うちらはなんの合図もなしに一緒に教科書を開いて、束の間おじいちゃん先生の授業に耳を傾けていた。
そしてそれにも飽きた後、うちは漆間さんの机の上に文庫本が置きっぱなしになっていることに気がついた。
「なあ、漆間さん」
呼びかけると、漆間さんはすぐにこちらに顔を向けた。
「漆間さんよく本読んでるやんな」
「うん」
「お父さんが本好きなんか?」
「ちゃう」
「じゃあ、お母さんが好きなんや」
「ちゃう」
漆間さんは首を振った。丁寧に丁寧に首を振った。そして、うちの目をまっすぐ見た。
「本好きなんは、わたしや」
漆間さんは、相変わらずの淡白な表情でうちにそう伝えた。くっきりはっきりそう言葉にした。
「そうか…せやな。本好きなんは漆間さんよな、そらそうよな」
漆間さんのクールな顔とは反対に、うちはまるであほみたいな顔をしながら、あほなことを聞いたなぁとしみじみ思てた。
手持ち無沙汰に、真っ白なノートにぐるぐると丸を書いた。それでも手持ち無沙汰だったので、何か書けるものはないか思て、「漆間さん」と書いた。それでも手持ち無沙汰だったので、そこに「未来」と書き足した。ノートには「漆間さん未来」という筆跡だけが、白い紙の中で強い存在感を放っていた。
「なあ、漆間さん」
漆間さんはもう一度こちらに顔を向けた。何度見ても何考えてるかわからへん顔やった。
「あのさ、うち」
うちは何でか緊張していた。さっき緊張せえへん言うたくせに、早速緊張している自分は嘘つきや思た。初対面の相手やろうが授業中やろうが、お構いなくぺらぺらと喋れるうちの口が、急に口内炎でもできたんか思うくらい重たなった。
そんくらい普段絶対言わんことを、この能面の漆間さんに言ってみたなった。
「うちな、漆間さんと、もっと仲良くなりたい…今日、一緒に帰らへん!?」
気づくと、クラスメイトがみんなしてうちの方を見とった。
うちはハッとした。思ったより大きい声が出とったからや。
「コホン」とすぐ近くで咳払いが聞こえて、顔を上げるとおじいちゃん先生がうちを見下ろしとった。
「友情を育むのは結構やが……授業中は授業に集中するように」
おじいちゃん先生の、鼻の先からずり落ちそうなほど大きな眼鏡を見ながら、うちは肩をすぼめて「すんませーん」と謝った。教室中からくすくすと抑えた笑い声が漏れた。
「別にええけど、」
おじいちゃん先生が前に戻った後、漆間さんはそう言った。うちはその声にえらい嬉しなって、ぱっと顔上げて漆間さんの顔を見た。
「わたしは15時半に学校出て16時に家着くで、幸村さん遅れても待たれへんよ」
漆間さんは大真面目やった。
「難儀やなぁー!がんばって追いかけるわ!」
(おしまい)