もう歯を磨いちゃった
今日の日記
区役所の入り口に、見事な死に様の芋虫がいました。
ちょっとむごい話なんですけどね、濃い緑色の体液が放射状に飛び散っていて、たぶんマイナンバー関係かなんかの手続きで来たお母さんについてきた7歳の男の子に元気に踏みつぶされたんだろうなっていう感じの、広がり方。
”ビリジアン”ってこの色のことだ、っていう綺麗な深緑色でした。
あと量めっちゃ多い。スプラッター映画で笑っちゃうくらい血が出てる時あるけどそんな感じ。
踏まれながらも形はとどめていて、斜め上を向いて「 カ ハ ッ 」っていう感じの顔してる。
点字ブロックの明るい黄色とのコントラストも見事でした。(何が?)
多分前世は時代劇で有名な切られ役だったんじゃないでしょうか。
いや、来世か?
そういえばビリジアンって言葉子供の頃にしか使いませんでしたよね。
「背の順」とか大人になっても使う言葉だと思ってました。
あと「さんすうセット」と「探検バッグ」も。あれ中学上がったら使わないから捨てていいですよ。裁縫セットだけとっといてください。
そういう子供の頃にしかない概念をまとめたwikiを作ろうかな。
そういえばwikiって言葉10年前くらいまでしか(
そろそろ書くことがないことがバレてきたので終わります。
今日の感想:柴崎友香『春の庭』
純文学というものをほとんど読んだことがなかったんですが、凄いですね。
なにが凄いって、ほとんど何も起きてないんですよ。
東京・世田谷の取り壊し間近のアパートに住む太郎は、住人の女と知り合う。彼女は隣に建つ「水色の家」に、異様な関心を示していた。
これがあらすじなんですけど、ほぼこれで全部なんですよ。
多分ハリウッド映画の脚本チームが読んだらオーマイガーだと思う。
それなのに、めちゃくちゃ面白い。
それはひとえに、”説明”と”描写”の力なのかなと思います。
よく小説は「説明するな、描写しろ」なんて言われるみたいなんですけど、個人的には純文学って描写しすぎなイメージがあって。
そんな小さい場面を事細かに描かなくてもいいじゃんって思ってしまう。
またカメラで例えちゃうんですけどマクロレンズすぎな感じというか、近すぎて全体が入ってこない、もしくは話が進まない。
逆に説明しすぎは遠すぎて、人物の心情が入ってこなくて感情移入できなかったり、固有名詞が多くて混乱してしまったりするんですけど、この作品はそのあたりのバランスがとてもいい。
一言で言うと、めっちゃ読みやすいです。
主人公を中心とした建物の位置関係が結構複雑なんですけど、説明が上手いからすぐイメージできて止まらずに読めるし、「水色の家」の庭を中心に植物の描写が上手で引き込まれる。
読みやすいから、話の展開も人物の心情もすっと入ってきて、派手な展開がなくても結果おもしろになってる。
心情の動きや展開が自然で違和感がないのも読みやすさにつながってるのかな。
「伝え方が9割」なんて本がありましたけど、小説もそうなのかなって思いました。
何も起きてないって言いましたけど、実際は血だらけの女性が風呂場でほほ笑む場面があったりとか、終盤中心に面白い展開はありますしね。
「火花」を読んだ時も思ったんですけど、純文学って終盤に急展開するのあるあるなんですかね?
何も起きてない!って急に不安になっちゃうのかな。
何も起きてないでいうと映画「かもめ食堂」とか、そのあたりにも通ずる心地よさでした。