100%いい人も100%悪い人もいないから、ありのままの自分でいい
以前、誰か芸能人が、記者会見で結婚を決めた理由を聞かれて、「彼といるときの自分が好きだから」と答えているのを聞き、「なるほど~、それって大事よね」と思ったことがあります。
反対に、自分が別れるときには、相手が悪いのではなく、その人といるときの自分がつくづく嫌になったことを思い出しました。
そのとき、自分はこんなに意地悪にもなれるし、こんなにひどいことも言えるんだと、気づかされたことがショックでした。
あたりまえのことだけど、人は色々な面を持っていて、自分が知っているのは、その人の一面だけだったと気づくことがあります。
例えば、会社ではいつも怖い顔で、時には自分のミスを部下に押し付けてしまうような人が、電話で奥さんと甘い声で話しているのを聞いてしまい、家庭では優しい夫なんだと、そのギャップに驚いたことがあります。
そして、その上司が苦手だと思っている自分は、「人には優しくしなさい」とか「ずるいことをしてはいけません」と言われて育って、頑張っていい人でいようとしているから、「よくそんなことができるわね~」と相手の嫌な部分ばかりが目についてしまったのでしょう。
自分が「人には優しくしなければいけない」とか「ずるいことは絶対にしてはいけない」というMUST思考(~しなければいけない、~してはいけない)で、自分を縛り付けていなければ、上司のそんな部分に過敏に反応することもなかったはずです。
実際、そんなMUST思考を持っていない人からすると、その上司はそんなに嫌な人ではなかったのかもしれません。だって、その人は、上司のいい面もたくさん知っていたかもしれないのですから。
人が誰かに対して嫌だと感じるとき、その人の行動が「~してはいけない」「~するべきだ」という自分の信念に反していることがよくあります。だからこそ、見方が厳しくなってしまったり、本当は自分もそうしたいのにできなくて、羨ましくて嫉妬していたりするのです。
その信念自体は否定するものでもなく、自分はこんな信念を持っていたのだと、ただ気づいてあげればいいのです。
作家の寮美千子氏は、エッセイ「心の扉を開く言葉」の中で、少年刑務所で講師をしていたときに出会った少年たちの話を書いています。
100%悪い人もいないし、100%いい人もいない。相手によって、状況によって、色々な心を持っているのが人間なのだと認めると、ありのままの自分をすべて受け入れることができて、心がスーッと楽になります。