インターハイ中止で大会に出られずに引退した高校三年生の皆さんへ伝えたいこと #オープン学級通信
地区高総体、全国インターハイが中止になったのはみんな周知の事実だと思う。この大会を目標に努力を続けてきた三年生の気持ちを考えると本当に心が痛む。
インターハイの中止を受けて、早々と引退を決めた三年生もいるだろう。試合すらできずに引退した人も少なくないことと思う。
そんな高校生に勝手ながら一教員として伝えなければいけないことがあると考え、筆を走らせている。私も同じような経験を高校時代しているから。お節介であることは重々承知だが、最後まで読んでいただけると有難い。
まず私が高校生だった頃の話をさせてほしい。
高校時代、私は陸上部に所属し、「インターハイで決勝に行くこと」だけを考えて日々過ごしていた。三年生の高総体の時点では全国ランキングでも50位以内に入っていて十分インターハイを狙える位置にいた。
無事県大会を突破しブロック大会で6位に入ればインターハイ。かなり調子も良く、目標達成への道は順調かと思われた。しかしブロック大会2週間前の練習でアップ中、足裏を突然激しい痛みが襲った。病院での診断結果は足底筋膜炎。普通に歩くたびに痛みが走るほどだった。当然走ることは不可能。でも希望は捨てなかった。2週間もあればきっと治ってくれるだろうと楽観的に捉えることにしていた。
2週間後のブロック大会。私の足裏は治らなかった。試合には絶対出ると決めていたので、サブトラックにアップをしに行った。しかし400mのジョグすら出来ないほど痛みがあった。でも希望は捨てていなかった。
ほぼノーアップ状態で試合に臨んだ。アドレナリンのおかげか試合中は痛みをあまり感じなかった。しかし2週間全く動いていない体でブロック大会の猛者どもに勝てるわけがない。結果は予選落ち。インターハイ決勝はおろかインターハイへの切符すら掴むことは出来ず私の高校陸上人生は幕を閉じた。
今も当時の気持ちを鮮明に覚えている。とにかく悔しかった。試合が終わった後も最後のミーティングもホテルに帰ってからも涙が止まることはなかった。そして結果を出した選手のことが憎くて仕方がなかった。
今の高校三年生の状況とは少し異なるものの、目の前に自分の実力を発揮するチャンスがあるにも関わらず、それを掴むことすら許されなかった、という点において非常に共感する部分がある。
さて、私の高校時代の夢破れた経験はその後の人生にどのような影響があったのか。
結論から言おう。
あの悔しい経験なしに今の自分は存在しない、と断言できる。
前述の話には続きがある。
実は大学入学後も競技を続けることにした。理由はあの時の後悔がずっと心の中に残っていたからだ。インターハイに行けなかったという劣等感とともに入部を決意した。
しかし先輩や同期の競技レベルが非常に高かったことと、入部後すぐにまた大きな怪我をしたことで劣等感はマックスに達し結局半年足らずで退部してしまった。
今まで陸上がそこそこできることが自分の存在意義だと考えていた私にとってその陸上がなくなるというのは人生から存在を否定されたも同然たった。
しばらく授業にもいかず図書館で誰にも会わないような席でこっそり本を読み漁る時期が3ヶ月ほど続いた。そんな中私の人生観を変える本に出会った。
ヴィクトール・E・フランクルが書いた「夜と霧」という本だ。その本の一節で私の生き方は変わった。
「あなたが経験したことは、この世の誰も奪えない」
当時インターハイに行けなかったことは、マイナスでしかないと考えていた。しかしインターハイを本気で目指していてそれでも行けなかったという経験は多くの人が持っているわけではない。私は非常に貴重な経験をした人間なんだ。他とは違う経験を持っているんだ。じゃあ自分の経験は無駄ではないのではないか。
経験には意味をつけることができると学んだ瞬間だった。
皆の中にはこう思っている人がいるかもしれない。
「コロナがなかったら・・・」
「インターハイが中止にならなかったら・・・」
出来事に対してこの様に反応することは誰にだってできる。でも皆には単に反応するだけで終わって欲しくない。皆には責任を持って人生を歩んで欲しいと思う。反応と責任の違いは何だと思う?
反応は英語でresponse、責任はresponsibilityと書く。朝学習で使っているユメタンにも載っている重要単語だ。責任を表すresponsibilityはresponse「反応」とability「能力」という二つの言葉から成り立つ。
つまり責任というのは反応することを選択できる能力だ。
皆は今どの様に考えているだろうか。ただ単に受動的に反応してはいないだろうか。皆には主体的に反応を選択する能力があるのだ。
「コロナがなかったら・・・」というのは簡単だ。
「コロナでインターハイがなくなったおかげで・・・」
私は皆がいつかこう考えられる様になると信じている。
すぐにできなくても良い。高校卒業後でも良い。ムシャクシャして物や人に当たってみたり、授業をサボったり、一人になりたくて普段は吸わないタバコをコンビニで買って川辺でぼーっと過ごしたり。そんな経験をしながら気づけば良いのだ。
結果は選べないが行動や反応は選択することができる。
皆の今後に期待している。まずは受験を乗り切ろう。我々は全力で応援をするから。
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