AIが生み出すアートに人類が打ち勝つ方法はごまんとある。
AIに仕事が奪われる論争
機械の進化や革命が起こる際に
必ずと言って良いほど沸き起こる議題が
いつしか機械やAIに人類は仕事を奪われてしまうのでは?
という一つの懸念。
結論としてはもう昔から出ていますよね。
人の手を必要としない
機械やAIに任せられる業種は無くなっていく。
それは今も昔も変わらない。
産業革命で蒸気機関が発達した際には
大量の失業者を出し
移動手段として車や飛行機が生まれれば
飛脚や馬を移動手段とする業種は
一部を除いて無くなり
平成の30年の間に
無くなった業種は主に24種。
無くなった業種に務めていた人々にとっては
死活問題だと思いますが
では過去に戻りたいか?と聞かれたら
それはNOと答える人が大半だと思われます。
AIアートへの批判
22年の7月に
画像生成AI Midjourneyミッドジャーニーが
誕生し
コンテストにて一位に入賞した事は
記憶に新しいですが
当然のように
この結果に対する賛否が起こりました。
「アートは人の手で描くべきだ」
「誰にでもできるのだからこれは反則じゃないか」
その様な否定的な意見もでてくるのは
想像の範疇だと一位入賞者は
発言していますが
そう言った批判の裏には
人類が近代より抱えている悩みの
機械脅威論と
仕事が無くなる事への不安が
見え隠れしてきます。
これらの機械、AIに対する脅威論に対する
私の結論としましては
AIはある分野においては
人間の性能をとっくの昔に凌駕していたのは明白で
業種が無くなる事も必然の淘汰である。
という事しかないのですが
そこに反発する考えがある人々に対し
私が思う事は
「結構怠惰なんじゃないか」
と思ってしまいます。
車と人間が競走をして
勝てるはずも無く
人は船を利用せずに
泳いで隣国に行く事もできない。
将棋AIはプロ棋士の棋力を
はるかに凌駕し
万とある画像から
特定の画像をピックアップするという
作業があれば
その処理速度はもはや比べるまでも無し。
分かりきった事であっても
自らに立ちふさがる驚異に対し
不安を拭いきれない人々もいます。
人類のみの不可侵領域を作り上げる
ならばどうすれば良いのか?
という疑問も生まれますが
その答えはとても簡単な事のように
私には思えます。
そもそも機械AIが有利な土俵で
勝負をしなければいい。
明らかに優劣が明白な条件の中で
人類有利なロマンや幻想を抱く事を
一刻も早くやめるべき。
または
機械AIには遠く及ばない
人間だけができる要素を付加するだけでいい。
という事になります。
絵画でいうのであれば
絵画を漫画にしてしまえば
AIはおそらく太刀打ちできないでしょう。
漫画風のイラストやコマをAIでも描けるかもですが
そういう意味ではありません。
吹き出しの部分にキャラクターにセリフを言わせて
ギャグを飛ばし
人を笑わせる事は
AIには現時点不可能です。
または
絵に沿った文章を書き
その文章すら自分で絵の様に書いてしまえば
それは人間のみが往来できる領域となります。
なぜなら
AIは感情を理解できないからです。
感情と呼べるプログラムをマニュアル化して
組み込む事はできるかもしれませんが
それは感情を模した動作でしかないです。
感情は人類の最大の武器です。
高度なユーモアを交えて
アート活動すれば
数百年はAIと共存できると
私は考えています。
感情というのは
私達が思うよりも広く果てしなく
人の行動や決断をする上で
大きな要因になると思うわけです。
そして
感情の中でアートが生まれ
文化が育まれていったのです。
機械AIもまた
人類の感情が生み出したその一環です。
私の理想とする未来
人類のみの不可侵領域を作り出す事は
とても簡単だと私は断言できます。
むしろ人類はどうやって
AIを駆使して
有意義に働き
そしてサボるかを
今から真剣に考えるべきだと思います。
私が理想とする世界とは
人手を必要としない事は
全てAIに任せ
そこに収益を生み出し
その収益を国民にばら撒いて
人は楽しく人生を謳歌する。
楽しいと思える人生を謳歌すれば
感情もまた育まれていき
豊かな発明を生み出し続けていく。
そんな未来であってほしい。
終わり。