メモを書く話し。
最近見たニュースによると
メモを書くという行為のメリットを最大化させるための
いわゆる「メモ術」をとりまとめた本が売れているらしい。
仕事や日常においても
メモを取る行為をする人は
当たり前の様にいるとは思うが
かく言う私も
どちらかといえばメモを書く事に前向きな方ではある。
というのも
最近物忘れが多く
撮影やイベントを行う時などは
チェックリストを作らないと
何かを忘れていそうで不安にもなるし
仕事においても
一度言われた事を人にまた聞きなおす事に
多少の罪悪感も感じるからだ。
それ以外に
ふと閃いた事はすぐに
パソコンのブラウザに張り付けられる
ウィンドウズに備え付けの付箋の機能を使って
すぐに箇条書きにするのが
もはや習慣となりつつある。
何はともあれ
昨今のメモ術ブームに対し
懐疑的な主張を
ネット上で展開したのが
実業家であるホリエモンこと
堀江貴文氏。
堀江氏曰く
メモは基本的に取らないらしい。
メモを取らないと覚えられない程度の事は
自分が必要としている情報では無いため
忘れて良し。
むしろ
一度覚えたら忘れないほど
目先の事に集中すればずっと記憶できる。
だからメモはいらない。
ざっというとこのような主張である。
私はこれを聞いた時
部分的にとても賛同できた。
仕事を例とするのであれば
なぜメモを取るのかと聞かれたら
当然忘れないためではあるが
そもそも、その事柄に特別な興味が薄いゆえに
メモをしないと忘れると自分が思い込んでいるからこそ
メモを取ろうとする。
おまけに
言われた事を忘れている
あまりやる気のない人間だと思われるのも
ちょっと嫌だという体裁も含んでいる。
だからこそ、堀江氏のこの主張が
私にはものすごく刺さるのだ。
もちろん
会社内で立場が上にして
重要な責任の一端を担う人が
ミスのリスクを軽減するために
メモを取る行為も
私は正しい選択ではあると思っている。
だが堀江氏のいう事は
それとは少し違う。
目先の事に一生懸命であれば
忘れたくても忘れないという事。
これは誰にでも経験する事だと思う。
それは、とある人の何気ない一言
著名人が発した名言。
書物に書かれた格言。
音楽の詩一文。
赤の他人の痴話はなしのワンフレーズ。
ずっと忘れる事の無い事柄というのは
確かに存在する。
結論
堀江氏が主張したい事とは
今やっている事に全力で取り組む事の重要性なのだと思う。
無難にミスなく、及第点を目指し
可もなく不可もない事や体裁のために
及び腰になってはならない。
そう言いたいのだと私は解釈した。
私自身、好きな事には
とことん熱中するタイプである。
動画編集を気づいたら20時間くらい
ほとんどぶっ通しでやる事も珍しくない。
その最中は一種のランナーズハイのように
何か研ぎ澄まされた感覚になる。
その編集作業の最中に自分がした事や
思いついた事は
ほとんど記憶しているし
段階的に何をしていくかも
すでに頭の中で直感的に
段取りを組めている。
もしもこのくらいの集中力を
好きになった事柄全てに発揮できれば
今以上にクリエイティブな部分において
高みを目指せる人間になれるだろうと
堀江氏の主張を聞いて痛感させられた。
願わくば、そのような人間でありたいと思う。
だが、それでも
全く関心の無い事や好きでない事を
やらなくてはならない事があるのも事実。
メモでも取らなきゃ光の速度で忘れてしまうような
事もやらなくてはならない時があるのも
生きてく上では仕方ない。
だからメモ術を活かす事に何も否定的にはなれないが
メモを取らずに記憶できるほどに
夢中になれるなにかと出会えたのなら
それは本当に素敵な事だと思う。
終わり。