幼少期の自分のステータスを割り振る権利は親にある。
親が子供の未来、将来に備えて
投資するのは普通の事だとは思うが
親の子育ての方針は千差万別で
子供の特性もまた同じ。
親の方針と子供の特性が必ずしも
マッチするとは限らず
教育の流行り廃りに惑わされて
「なんでこんな事やらないといけないの?」
と、親のエゴを押し付けられた少年時代を
過ごした人も多いと思う。
私もその一人である。
私は習い事に空手、剣道、そろばん
学習塾、家庭教師、プール、サッカーなど
父と母のエゴイズムを背負わされ
正直何も楽しいと思えない習い事を
中学までやらされていた。
あまりに嫌すぎて塾やプールをさぼって
駄菓子屋やゲームセンターに入り浸る事もあった。
そして家に帰っては
両親からこっぴどく怒られる始末。
結果的に、嫌な物事への反発と言わんばかりに
学業向上、補助のために通う
塾もやめて、家庭教師の先生とも
険悪となり、家庭教師を雇う事をやめてもらった。
結果論かもしれないが
親が私の将来の為と思って
やらせた習い事は多分
ほとんど身になっていない。
そして、良い思い出も無い。
逆に、私が自主的に好きでやっていた事が
デッサンや工作、ギター等の楽器演奏
テレビゲームだった。
デッサン、絵画に関しては
小学一年生の頃に表彰されて
区の代表にもなれた。
小4.中3の時に
割りとテキトーに書いた靴のデッサンと
自分の左手が割りと高い評価を受けて
美術室に貼られた一枚にもなった。
当時、工作の先生が
わざわざ私の母親に電話をして
「山城君は絵が好きで才能がある。
だから、専門的に絵を習わせた方がいい」
と、親に指摘までしていた事を
後に知ったのだが
両親はそれに猛反対。
「勉強とスポーツ、文武両道こそ
将来有能な大人となるのだ」
と言わんばかりに
文と武にこだわった結果
私は習い事や習い事から逃げて
親に怒られるのが嫌になって
ゲーセン通い。
気がつけば今でも娯楽を追求する
人生となってしまった。
自分の両親に恨みや怒りは感じていないが
たまに私が実家に帰った時には
その事について嫌味を言う。
「完全に子供の投資先を間違えたよ。
型にはめて良くなる子供もいるけど
合わない子供に強引に型に押し込んで
俺は逃げてしまったんだよ。
小1の段階で好きな絵画を描ける環境があったら
今頃有数の画家になってたかもしれないんだぞw」
と両親の少々、頭でっかちな固定観念を痛烈に批判する事があるのだが
親の心、子知らずで
親も将来を考えた末の安定的な教育を施そうとした結果でもある。
そこを見誤ったのは間違いないが
子を思ってやった事に悪意は無い。
ここで思うのは
子の為という名分で行う、いわばステータス割り振りを
ミスっている事に気づけず
愚直にそれを繰り返してしまうと
取り返しのつかない事にもなってしまう。
そこに悪意が無いというのも困りものでもある。
重大な事は
ステータス割り振りの権利は基本的に両親に有り
子供は基本従うしかない。
子供には拒否権が無い。
継続する事は何においても大事だとしても
修正、撤退、変更する選択肢も作らないと
アンバランスなジェンガを積み上げていく様な状態にもなる。
子を想うならば、子の適正、資質を
親も十分に観察する事も
子への投資の為の大切な下準備の様にも思える。
ちなみに中学からは音楽一筋。
親から強制された習い事以外の事に
時間を費やしたものはどうだったか?
やりたく無い事を強制されて
逃げ続けた結果
一体何が残ったのだろう?
まともに勉強もせずに
ギターを弾きまくって
プロを目指して、レストランなどでブルースをプレイ
路上ライブやライブハウスで演奏し
曲を作っては演奏していたが
20代半ばで挫折しプロになる事を諦めたが
今度初めてバンドを組む事になった。
現役の頃は3.4人組の生楽器ユニットで
エレキを持った事が殆どない。
子供の頃より続けたテレビゲームでは
メタルギアソリッド5オンラインで
世界ランキング52位に到達した。
現在私にとってライフワークでもある女装では
海外に投稿している映像コンテンツサイトで
自分のアカウントは一応プロ垢扱いとなっているが
とてもありがたい事に
世界ランキングが日本人として1位となった。
私が女装で生計を立てている事は
両親も兄弟も知っているが
女装姿の私を見て
心の奥底で何を想うだろう?
間違っても
親の想定していた様な大人では無いだろうが
最終的に最も大切な事は何か?と
聞かれたら答えは決まっている。
その子供が大人となった時
自分の現状に幸せを感じられているかどうか。
これしか無いと思っている。
それがどの様な環境であれ
幸か不幸かは本人次第。
私は現状幸せかと聞かれたら
幸せな方である。
やりたい事を突き通してきたからだ。
それならば、型にはめた習い事から逃げて
それ以外の何かに依存し、楽しい事を
続けていた私への教育方針は
結果だけみれば正しい。
最も育まれた私の感性とは反発。
親から学ばされたのは
抑圧に対する反発精神である。
逆張りな人生を歩んだ結果
かなりマイノリティな所まで来てしまったが
今にして想う事は
子へのステータス割り振りを行う権利は
親にこそある。
だからこそ親の考える幸福感と
子の感じる幸福感は
ずれる事もあるからこそ
互いに寄り添って考えるべきなのだと
昔を振り返っては時折痛感する。
終わり。