校則って、何だったんだろう。
昭和生まれの私が心から、「女の子でよかった」と思ったのは中学生になる数ヶ月前だった。
小さな町の中学校は、男子生徒は、全員丸刈りにしなくてはいけなかったからだ。
小学6年の三学期くらいになると、男子はボチボチその状況を悟り、散髪してきた。いつも短髪スポーツ刈りの野球少年たちは、さほど抵抗はなかったように見えた。
女の子はさっぱりしたその頭を見て
「触らせてー」
と、言って無邪気に笑ってもいた。
けれど中には、ピアノが上手くて後に音大に行ったAくんもいて、6年生当時はちょっと背伸びした七三分けで、校歌の伴奏のピアノを弾き終わって髪をさっとかきあげていた。
クラスの女子たちは、
「Aくん、どうするんだろう?」
「私立中に行くんじゃない?」
などと勝手な噂をしていた。
ところが、やっぱりAくんも卒業式前には丸刈りにしてきたのだ。
私を含めクラスの女子の数人は、Aくんの丸刈り姿には、彼の真意ではないと思え、ちょっと心が傷んだのだった。
そして中学入学後、生徒会とかで「男子の髪型」は結構、議題になっていた。
時は昭和40年代の後半、日本は高度経済成長で、オイルショック直前のことだ。
市部ではほとんど、丸刈りの中学はなかったし、隣の町の中学だって数年前に丸刈りを返上していた。
クラスのホームルームでも何度か話したが、どうやら先生たちは、
「中学生らしさ」
にこだわっていたように思う。
「じゃ、髪が短ければ、中学生らしいんですか。」
と、先生に詰め寄ったのは、いつも穏やかにみんなをまとめている、学級委員のBくんだった。
クラスのほとんどは、「今どき丸刈りって、おかしいよな」という空気だった。
その後、私は生徒会の役員をしていた訳ではないので、詳しい経過は覚えていないが、クラス会、代表委員会、生徒総会を経て、何とか先生方の同意も得られ、私達が卒業した後、「男子の髪型の丸刈り」は返上された。
今こうして書いてみると、当時の生徒会の役員だった人たちの、意見をまとめるためのご苦労、ご尽力はいかばかりだっただろう。遅まきながら感謝したい。
そして、振り返って見ると、やっぱり、よく生徒手帳に書いてあった
「中学生らしさ」
という言葉が引っかかっている。
中学生自身が考える中学生らしさ、
先生たちが考える中学生らしさ、
親たちが考える中学生らしさ、
それらをすり合わせることが大切だと思う。
中学生にだって考える力はある。
学校という学びの場でどんな服装、髪型、持ち物にするのがいいのか。
でも、親や先生にも思いはある。
学ぶ場でふさわしい服装、髪型、持ち物。
よく研修会で講師選定などを集約してきた今の私だったら、それらの校則について、「何を、どのように、何故変えたいのか」アンケートをとり集約する。
アンケートというのは、話し合いだけだと、強い意見に押されて、言いたいけど埋もれてしまいそうな、大切な本音の意見を拾いあげることもできるだろうから。
その後、アンケートをもとに討論の柱立てをして、話し合い生徒会の意見をまとめて、保護者や先生たちの意見とすり合わせていくだろう。
忘れてはいけないのは、中学生生活の主人公は中学生自身だということ。
そうして、
「たとえ小さなことでも、自分たちの目の前の環境を、自分たちの手で変えることができる。」
と、気づいた人がいたら、それは、この先、何か未来を変える力になるのではないだろうか、と思うのだ。
◎今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。
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