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27歳のわたしには「ちょっとダサい」が必要だ
なんとなく立ち寄った雑貨屋で、私の足を引き止めたのは1つのピンバッチだった。
そのピンバッチは餃子の形をしており、真ん中には赤い文字でデカデカと「ぎょうざ」と平仮名で書かれている。500円玉より小さいけれど、表面とゴールドのフチが艶めいているので、意外と存在感がある。
「ものすごく欲しい。めちゃくちゃ買いたい」
だけど、私は迷っていた。
「こんなもの買って、どこで使うのよ」
毎日の生活に、ピンバッチはどう考えても不要なものだ。もう5年以上、ピンバッチなんて言葉使ってなかったし。仮に買ったとしても、ピンバッチをつける場所なんてない。ぎょうざのデザインならなおさらだ。無邪気な10代ならまだしも、私はもうすぐ27歳。アニメのキャラクターでいえば、マスオさんの1個下。もう立派な大人だ。いくら精神的に幼い部分があったとしても、大人の自分にはふさわしいものじゃない。
でも「ふさわしい」って一体なんだろう。
年齢的にふさわしくなければ、諦めなければいけないんだろうか?
思い返せば、私は昔から「ちょっとダサいもの」が大好きだった。レトロな文具をオマージュしたグッズや、円周率が書かれたチャート式のファイル、鷹の爪団が自虐発言をするシール、開閉できるアジの開きキーホルダーなど。。友人から「なにそれ?」と聞かれるようなグッズをコツコツ集めていた。
だけど社会人になってからは「ふさわしいもの」ばかり買うようになった。無難なグレーのかばん、無地のノート、茶色い革のブックカバー、金属製の栞など、どこへ出しても恥ずかしくない物たち。気づくと、ちょっとダサいものは「ふさわしくないもの」として見ないようにしていた。本当は今でもすごく好きなはずなのに。
27歳になった私は、社会人として「ふさわしい」を気にして生きていく必要があるのは確かだ。でもほんの少しくらい「ふさわしくない好きなもの」を選んだっていいはずだ。30代、40代と歳を重ねようと、好きなものは好きなのだから。
ぎょうざのピンバッチを購入した私は、会社用の黒いリュックの前ポケットに装着した。社会人として、これはアウトだろうか……。分からないけど、このちょっとしたダサさが、自分にふさわしいものには違いないよね。