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大丈夫ですか?と言えなかったのは、言語のせいじゃない

今日目の前で倒れた外国人に大丈夫ですか?と言えなかった。

電車の中に、2人組の外国人女性がいた。最初は普通に話し込んでいたが、そのうち1人が何かを言いながら床に座り込みだした。具合が悪そうだ。そしてすぐに、彼女はゆっくりと電車の床に横に倒れ込んだ。

えっ…!?近くにいたわたしは、彼女の異変には早い段階から気づいた。でも、どうしていいかわからなかった。横になるのは彼女にとっていつものことかもしれないし、ただ眠いだけかもしれない。何より英語も話せないので、結局なんの助けにもならない可能性がある。彼女のためにどうにかしたいけど、何をしていいかわからず固まってしまった。

周りを見ると、私以外もみな固まっていた。あんなに人がいるのに異様だった。

その後向かいに座る男性が声をかけたところ、相方の外国人女性が「あんまり気にしないで」のような返答をした。そして次の駅で降りていった。たぶん乗車時間が長くて気分が悪くなったのだろうか。おそらく大事ではなかったらしい。

でも、わたしはすごく後悔している。倒れた彼女の近くにいたのに、「大丈夫ですか?」と一言声をかけられなかったのを。

浮かんだ言い訳は「英語を話せないから」。彼女たちの会話の内容がわからないので、勘違いだったら恥ずかしいし、相手の症状をきいても何もできない。だから仕方ない、そう考えた。

でも英語が話せなきゃ、何もできないわけではない。ちゃんと英語が話せなくたって、心配して何かしら相手に伝えられたはずだ。実際に声をかけた男性は、ほとんど英語を話していなかった。それに英語といっても、"OK?"といえば伝わるはずだ。義務教育をうけているなら絶対に言える。つまり「英語ができないから仕方ない」なんて存在しない。

よく困ってる外国人を助ける日本人をみて、「英語が話せたら私もやりたいな〜」と思っていた。でもいま何もできてないわたしが、英語を話せたところで行動するのだろうか?おそらく英語が話せるようになっても、「彼女たちの会話の内容からして大丈夫だろう……」と新しい言い訳を作るだけ。きっと今と変わらない気がする。

勇気を出して声をかけたい。でも話しかけるのって難しい。もしまた同じ場面に遭遇しても、すぐに助けなきゃ!!と動ける可能性は低い。今日のように「助けたほうがいいのか、でもわたしは……」とためらってしまうだろう。

ただ少しでも現実を変えるため、次からは「英語ができない」を言い訳にするのをやめようと思う。そうやって少しずつ言い訳を減らしていき、強制的に自分の背中を押していきたい。

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