「変わってると言われる」と話す人が平凡な理由
「わたし、変わってるってよく言われるんですよ」
先日OG訪問のためにスターバックスであった女子学生が、どこか得意げな顔で切り出してきた。しかし変わってると言われる根拠を聞いてみると、驚きの答えが返ってきた。
「実は毎週サザエさんを録画してみてるっていうと、周りの友達にはびっくりされるんです。これって変わってますよね?」
確かに女子大生でサザエさんを毎週見る人は多くないかもしれない。しかしサザエさんは全年代で知名度が抜群に高いアニメであり、番組平均視聴率はアニメの中で最も高い13.1%だ(4月15日(月)~4月21日(日))正直、初対面のわたしに変わっていると誇れるほどではない。わたしは学生にサザエさんの高い視聴率を提示しながら、丁寧に大して変わっていないと説明した。
「変わってると言われる」と話す人ほど平凡になる。なぜなら聞き手が「本当に変わっているのか」と粗さがしを始めてしまうためだ。人と違う存在でありたいと願う人は、「変わってる」と言われたいと考えている。そのため「変わってる」と言われる他人が正直面白くない。だから「変わってる」と着やすく発言する人は、出る杭は打たれるがごとく全力でつぶしに行く。そして話の中に平凡をみつけるやいなや、「なんだ、結局平凡じゃん」と判断するのだ。
実はわたしも、かつて「変わっているといわれる」発言を繰り返していた。確かに「変わってる」といわれた。でもその根拠は「パンケーキよりラーメンが好き」とか「コカ・コーラの一気飲みが好き」とかのエピソードで、いま思えば大して珍しくない平凡な話だ。それなのに、なんと就活の面接官にまで得意げに話してしまった。もちろん変わってるといわれる根拠は平凡だったので、採用見送りとなってしまった。
「変わってる」発言が引き起こした悲しい過去を反省した結果、人と違う個性は「余韻」のようなものだと気付いた。つまり、その人の言動から自然とにじみ出てくるものが個性となり、自分から「変わってる」と言ってしまうとふっと消えてしまうはかない存在ではないかと思う。
だからわたしは自分を「変わってると言われる」なんていわない。片道10時間かかる青春18きっぷの旅が好きでも、日刊SPAを好んで読んでいても、SASUKEが好きでも、人から「変わってるね」と言われるまではじっと待ちたい。