亮一さんに観る『男らしさ』について嫁の私が語ろう。そして質問を投げかけよう。~嫁ゆっきぃからのお話しと質問~
『男らしさ』とか『女らしさ』ってなんやねん。と思い始めたのはいつからだろう。
私は自分のことをまるで『女らしくない』奴だと思っていて、そこにとても劣等感を抱いてきました。
まぁ10代から20代半ばくらいまでは「劣等感100パーセント」、「劣等感が歩いてる」という感じで生きてきたので、私の劣等感は『女性らしさ』についてだけの話しではないのですが。
私は『女』という性に生まれたにもかかわらず、ただ生きているだけでも『女』であることを避けられないにもかかわらず、『女性らしさ』という言葉にとらわれ、勝手に劣等感を抱いていました。
まぁそれがきっかけでソープ嬢やクラブホステスという職業を選び、「私は本当に女らしくないのか?」「女らしさとはなんだろう?」の実験と検証が始まるのですが。
結果、今私は「『男らしさ』とか『女らしさ』とかうっせーわ!そんなんいいからお前の全部でいろいろ楽しめよ!」という意見を持っているのですが、そんな私がバッリバリ矛盾している『亮一さんに観る男らしさ』をテーマにあーだこーだ意見を述べたいと思います。
というのも、亮一さんは知り合った頃に比べると、どんどんと『男らしさ』や『色気』が増しているのです。
知り合った頃はとても幼い印象だった亮一さん。
まるで中学生のような雰囲気を漂わせておりました。(そんなところも大好きなのですが。)
そんな亮一さんがあるときからどんどん色っぽくなっていきました。
どんどんカッコよくなっていくのです。
今も尚、それは進行しております。
「おぉ…?なんか私の旦那さん、どんどんカッコよくなっていってない…?」
と、結婚11年目でもなお感じられるこの幸福。あー幸せ。
あ、すいません。惚気が過ぎました。
とある日、私は亮一さんと『男らしさ』や『色気』や『セクシーさ』について話していました。
まぁこんなことを話すのは私たち夫婦の日常なのですが。
「ねぇねぇ。亮一さんさ、前よりもカッコよくなってるし、色気が出てきてるし、『男らしく』なってる気がするんだけどさ、なんでだと思う?」
私は亮一さんにそう聞きました。
すると亮一さんはこう答えました。
「うーん…自分ではセクシーとかはわからないけれど…もしそうであるなら
自分の弱さを自分で認めたからかなぁ。」
私はその亮一さんの答えを聞いて「うはっ!!」と天を仰ぎました。
すっごく納得してしまったからです。
『男らしい』という言葉を聞くと、どんなイメージが湧きますか?
「強い」とか「頼れる」とか「引っ張っていってくれそう」とかが一般的なのでしょうか?
きっと人それぞれその定義は微妙に違うのかもしれません。
“好み”もあるでしょうしね。
私は亮一さんが以前よりもだんぜん『男らしく』なっていっている様子を見、『色気』が増しているさまを目の当たりにして見ています。
これはもちろん私の“好み”の問題もあるでしょうが、「以前と比べて」の要素があるので冷静さも含みます。
この亮一さんの変化を見て、私はこんなことを実感しました。
『男らしさ』や『セクシーさ』は「男の弱さ」を自分で認めた時に初めて匂い立つものだ。
と。
男の弱さをまるごと認めた時(弱さに降参した時ともいうかな)、男の人は初めてほんとうに強くなるのです。
弱さを認めると勝手に強さが匂い立つ。
これ、難しいことなんだと思います。
だって「強くあれ!」と育てられるでしょ?
男の人って。
でも弱いじゃない?
弱い部分めちゃくちゃあるじゃないですか。
それを排除しようとして、そしてその部分を自分にも他人にもなんとか見せないようにバレないように生きているわけです。
強くあろうとするんですね。
そうじゃないといけないと教わりますから。
大変だよねぇ。男の人って。
「男のくせに泣くな!」なんて言葉を未だに言っている人もたくさんいるもんねぇ。
でも皮肉なことに、自分の中にある『どうしようもない弱さ』を引き受けると
『匂い立つ強さ』や『匂い立つ男らしさ』や『匂い立つ色気』が表に出てくる。
もともと持って生まれてきた『男』である『性』がただ現れる。
それだけなんだね。
その“それだけ”が難しかったりするのだけれどね。
てことで、ますます『男らしさ』と『男の色気』が増している亮一さんに質問です。(むふふ。
どうして「自分の弱さ」を引き受けることができたのですか?
そこにはどんな過程があって、どんな想いがありましたか?
そして亮一さんが考える『男らしさ』や『男の色気』について教えてくださーーい!
難しい?
そんなことないでしょー!
亮一節、聞かせて聞かせてー!