もう一度味わう、子供時代の感情
朝食のカレーを食べているとき、息子がごはんにスプーンで溝を作り、「線路つくってるの」と言った。
「うん。でもそれは食べ物で遊んでることになるから、やめてね」
「なんで?」
「食べ物は粗末にしたらいけないからだよ」
「なんで?」
こんなやり取りを夫と息子がしているのを見て、自分の子供時代の記憶がふと蘇ってきた。
小学2年生か3年生のときのこと。放課後、学校の農園で収穫したサツマイモを持って、学童クラブに行った。友達が何人かでサツマイモを銃にして、撃ち合いをして遊んでいた。私も一緒になって遊んでいたが、ふと、「食べ物で遊んだらいけない」と思って、やめた。
そして、友達にもそう言った。
しかし、友達は何だよという顔をして、私はいきなり優等生的なことを言った自分を恥ずかしく思った。
先月の東京に雪が降った日にも、子供時代の記憶が蘇ってきた。
朝、「雪が降ってる!」と窓の外を見て言うと、息子が「えー!雪ー!?」と走ってやってきた。息子は雪で遊びたいと言っていたが、遊べるほど積もるか分からないなと思った。
案の定、昼頃には止んでしまって、ベランダにも雪は残っていなかった。
「雪、溶けちゃったね」と言うと、息子は「いや!けいちゃん雪であそびたい!」と言った。
息子の悔しい気持ちを感じると、自分も5歳くらいのときに、雪が溶けていくのを切ない気持ちで見ていたのを思い出した。
東京に雪が降って、雪で遊べるのなんて年に1回あるかないかという一大イベントだった。
当然、幼い私も当時住んでいたアパートの子達と、アパートの駐車場で雪で山を作ってそりで滑ったり、雪だるまを作ったりして、はしゃいだ。(その日、初めて手がしもやけになって、体が冷えすぎたのか翌日は熱を出した)
作った雪だるまはアパートの日陰に置いたが、日に日に溶けて、小さくなっていった。朝、保育園に行くときと、夕方帰ってくるときに毎回それを見て、「雪だるま、とけていっちゃう」と悲しい気持ちになった。
こんなような子供時代の記憶を、息子とのやりとりをきっかけに思い出して、そのときの恥ずかしいとか、悲しい感情が鮮明に蘇ってきて、いちいち胸がチクッとする。
胸がキュッとなっている幼かった私を、息子に感じるのと同じように、愛おしく感じる。受け止めて、とりあえずギュッとしてあげたい。
自分でも普段思い出さないようなことを、子供と一緒に過ごすことで思い出す。自分でも普段忘れていることを追体験できて、まずは子供に感謝したい。息子よ、君がいなかったら、お母さんこんななつかしい感情に浸ることは多分なかった。ありがとう。
そして、私はもう大人で、人の気持ちが想像できるんだから、息子の感情にもっと寄り添ってあげようと思った。
(今日も保育園からの帰り道で駄々をこねられてイライラしてしまったけど、お母さんこうやって心の雑草を刈ってるので許してね・・・。)
そして、泣く3ヶ月の娘を寝かしつけて、私に入浴中にこんなことを考える余裕を与えてくれた夫にも感謝したい。ありがとう。