ふいにお茶でも
子どもが生まれてから、突発的に人と会えることがなくなった。あらかじめ決められた集まりではなく、「ふいに」誰かとの関わりが生まれること。
いつかやって来る
「今度お茶でもしよう」ではなく、「ふいにお茶でもしよう」と友人からのメッセージが締めくくられていた。なんだかエネルギーが湧いてくるような感じがした。どちらかが必要になったり、互いの何かが重なったとき、いつか、「ふい」がやって来る。
だからその日まで私は私の生活を暮らし、彼女は彼女の生活や仕事を生きる。そのはっきりしない予定に心が支えられている気がした。
何かが満ちたとき
何かが互いを必要とするとき、理由はないけれどそこに風が吹くとき、私は彼女と会えるかもしれない。「かもしれない」だから、会えないかもしれない。だけど、きっとそんな風が吹く。
だから私は「私のいま」を生きる。気負わずに日々を過ごす中で、いつか道が重なるのを楽しみにしながら。
「ふいに」と口笛を吹くように言ってみたら、自然と笑顔になった。