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洞爺丸事故

昭和29年9月26日。
青函連絡船  洞爺丸のボイラー機関士だった祖父は、別の日に親族の結婚式があった同僚から頼まれて乗務日を交換し、この日の洞爺丸に乗船しなかった。もしも祖父が乗船していたら、祖母や母のその後の人生に大きな影を落としただろうし、少なからずわたしの人生にも影響したと思う。
祖父の口から洞爺丸の話を聞いたことはない。向こうからの提案とはいえ代わりになくなった同僚ふくめ、沢山の同僚をなくした事故だからいろいろな思いがあり話たくなかったのだろうと推察する。
カズワンの事故しかり、運というものはほんのわずかな差であまりに多くの人々をふた手に分けてしまう。

母は四十年以上もの間、海難遺児育英会に寄付を続けている。

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