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日本の科学研究の問題と今後必要な対策

最近、日本の科学研究の問題についての討論会に出席する機会がありました。せっかくですので、これについて備忘録を書いておきたいと思います。

日本の科学研究の衰退とそれがもたらす問題

討論会ではまず生物科学学会連合の副代表を務める東京大学の後藤由季子教授より、科学研究予算の問題についてお話がありました。

本論に入る前に、まず背景を簡単にご説明します。
以前私もこちらの記事で言及しましたが、近年日本の科学研究力は低下の一途をたどっています

引用数の高い重要な論文の世界シェアは20世紀末には世界第4位を誇っていましたが、毎年のように下落していき、今や世界13位という有様です。学術の共通言語たる英語が主要言語でない国々や、人口が日本より少ない国々にも後れを取っており、もはや言い逃れはできない状況となっています。

文部科学省 科学技術指標2024(https://nistep.repo.nii.ac.jp/records/2000116)より引用

それがなぜ問題なのか?学問の世界での地位が低下したところで、別に痛くも痒くもないだろう、という意見もあるかもしれませんが、研究力の低迷は短期的・長期的に実に様々な悪影響をもたらします

後藤教授が研究の重要性を示す要素のひとつとして挙げたものに「特許」があります。大学での研究、特に基礎研究などというと、ほとんどは「カネにならない」「役に立たない」とみなされがちですが、引用数が高い論文は、特許においても重要な役割を果たしているようです。
例えば Fukuzawa et al. Scientometrics 2016 106:629–644 では、他の論文からの引用数は特許における引用数とよく相関していることが示されています。

つまり、質の高い科学論文を出すこと、そしてそれを可能にするだけの研究ポテンシャルを維持することは、知的財産権上のアドバンテージにつながると考えられます。これは基礎研究を含めた研究の重要性・公益性を示すひとつの知見と言えるでしょう。

逆に言えば、研究が衰退しつつある現在の日本は、知的財産権の面でも世界に後れを取りつつあることを示唆しています。

予算の問題

それでは、どうすれば良いのでしょうか?現状では、一体何が問題なのでしょうか?後藤教授によると、鍵となるのは「科学研究費補助金(科研費)」であるようです。
科研費とは人文・社会科学から自然科学まで全ての分野にわたり、学術研究を発展させることを目的とする「競争的研究資金」です。この資金は、個々の研究者が申請書を提出し、場合によっては面接を行い、適格と判定された場合にのみ交付されます。

研究の資金源の中心が科研費の研究者は論文のインパクトが高いという傾向もある(https://www.editage.jp/insights/public-research-fund-in-japan)とのことで、科研費は日本の研究の推進力として極めて重要な役割を担っているようです。

日本の科学が低迷している、という話をしましたが、実のところ科研費の額は減っているわけではありません。むしろ全体的な傾向としては増えつつあると言えます。

https://bunseki-keisoku.com/article/normal/kakenhishinsei/ より引用

しかしながら、研究の現場では科研費は「大幅に減った」と体感されているようです。一体なぜでしょうか?

これについては、世界的な経済成長やインフレ、および円安の影響を考慮する必要があると考えられます。

https://www.nissay.co.jp/enjoy/keizai/154.html より引用

円相場については、しばらくの間1ドル100円前後を維持していましたが、ここ数年で急速に円安が進み、2024年現在では1ドル150円前後となっています。

https://www.tdb-di.com/special-planning-survey/sp20230616.php より引用

研究に必要な試薬や機材は、海外の業者から購入することになる場合が多くありますので、額面上は不変ないし微増でも、それによって得られる物資の量は少なくなってしまいます。実のところ、これらの影響を考慮すると科研費はここ10年でおおむね半減していると考えられるようです。

また、学術誌における論文掲載料の高騰も考慮する必要があるようです。特にオープンアクセス系のジャーナルの場合、極めて高い料金を支払う必要が出てきています。

例えば世界で最も権威ある科学誌のひとつ「ネイチャー」にオープンアクセス(誰でも読める形)で論文発表する場合、1本あたり$12290、1ドル150円換算で184万円もの費用を支払う必要があります

論文を1本発表するごとにこれだけの札束が飛んでいくとなると、おちおち論文も投稿できません。これについては、本質的には学術誌や研究業界が持つ構造的な問題(ブランド雑誌の過度な重視・信仰)もあるのですが、現実的な問題として、円安・物価安の日本の研究者にとっては極めて大きな障害となっています。

こうした理由から、現在、日本の複数の学会および学会連合は「科研費倍増」を求める要望を行っているとのことです。

*2024年9月6日 追記
文科省に正式に要望書が提出されたようです。

また、競争的資金の科研費とは別に、国立大学等に審査を経ずに交付される「運営費交付金」も重要であると考えられます。

かつては、研究室の基本的な活動および研究の資金である「運営費交付金」と、費用がかかる研究や規模の大きい研究をブーストするための「科研費(等の競争的資金)」という「Dual support system」によって研究が推進されてきたようですが、このシステムについても、近年崩壊の危機にあるようです。
 
驚くべきことに、運営費交付金は増額どころか平成後期にわたって徐々に減額されてきてしまったようです。

https://empowerment.tsuda.ac.jp/detail/949 より引用

一体なぜ国はこのような暴挙に出たのか、理解に苦しむところではありますが、この運営費交付金の減額は先に述べたインフレ・円安も相まって大学の研究現場に深刻な打撃を与えてしまったようです。
近年では「学生の卒業研究の試薬代すら確保できない」という声も多方面から漏れ聞こえてきます。

今回の討論会を受けての私見ですが、科研費の低迷は主に日本の上位層の研究者たちの研究を、運営費交付金の低迷は日本全体の研究および教育を圧迫しているのではないかと思います。

研究者は国民の理解と支持を得る必要がある

ここまでに記したように、研究関連予算の増額は疑いなく現在の日本において重要な課題であると考えられます。

もちろん、現在の日本ではどこも苦しいという事情はあると思われますので、科学研究だけにおいそれと予算をつぎ込むわけにもいかないでしょうが、予算の規模から考えれば、必ずしも無茶な話ではないように思われます。例えば科研費は総額でも約2,500億円(0.25兆円)であり、社会保障費のわずか0.2%程度を充てれば数値上は倍増させることができます。

ただ、予算の増額を実現するためには「国民からの理解」が鍵になると考えられます。

上述の通り、現在学会等が連携して政府に研究予算の増額を訴える試みがなされつつあるようですが、それだけでは恐らく不十分なのです。

文部科学省の林 和弘氏によると、政府が重視している要素として「納税者に対して説明できるか」という点があるとのことでした。つまり、大学等における研究の必要性・重要性を、政治家や役人だけでなく、広く国民に理解して頂く必要がある、というわけですね。

税金を納めるのも政治家を選ぶのも国民である以上、これはごく当たり前のことと言えばそうなのですが、大学などで研究をしている人達はどうもこのあたりをきちんと認識していない傾向があるのではないか?ということでした。

確かに他の業界から見たら、顔見知りでもない、何をやっているかもよくわからない象牙の塔の住人の活動に、なぜカネを出す必要があるのか?と感じられてしまいます。

おまけに、学者や医者や研究者――特にSNSで活発にご発言をなさっている人たち――には、どうも態度が尊大というか、上から目線な物言いをされる方が多く、これは反感を買う要因になっていると考えられます

このあたりの話については、討論会のパネリストでもあった金井良太氏がかなり詳細な内容や見解を記しています。

上記の知的財産権の話のように、大学等における研究が国家や国民の利益を考える上で重要な要素であるとしても、それを自明のことのように語り「予算を増やしてくれ」と言うだけでは、他者を納得させるのは難しいでしょう。

研究者としては、研究の重要性を何度でも丁寧に説明し「私たちが共に発展していくため、ぜひご理解・ご協力をお願いいたします」という姿勢を示していくことが肝要なのではないかと思われます。

後藤教授も、予算を「増やして下さい」ではなく「増やしましょう」という姿勢で建設的に話をしていくことが重要ではないか、と述べておりました。


ここまでは、主に「失点を抑える」方向性での話ですが、もう少し積極的に「得点を増やす」方向性も考えても良いのではと思われます。

すなわち、研究で得られた知識やその面白さを、専門外の人にわかりやすく伝える「アウトリーチ」「サイエンスコミュニケーション」などの試みですね。これらの重要性についても議題に上がっていました。

例えば理化学研究所では、研究所を一般向けに公開するイベントが毎年行われています。

私も過去に訪問したことがあるのですが、これはなかなか面白いです。
このイベントでは、各研究室が自分たちの研究を一般向けにポスターや映像などで説明したり、施設の一部を公開したりしています。私が訪問した際には、確かスーパーコンピュータのHOKUSAIなどを見学した覚えがあります。

こうしたイベントは、研究の現場でどういうことが行われているのか、そこにいる人達がどういうモチベーションで研究を行っているのかを知る良い機会になると考えられます。

ただ、これだけでは恐らく十分でないでしょう。最初から全く興味のない人は、こうしたイベント会場に足を運ぶこともないと思われるからです。

こからは私見になりますが、これからのアウトリーチ・サイエンスコミュニケーションにおいては、近年台頭しつつある「学術系VTuber」などが重要な役割を果たすのではないかと思っています。

彼らはYouTube、ツイッターなどにおいて、魅力的なアイドルの装いで、学問の内容を広く伝えるコンテンツを展開しています。

こうした人たちの存在は、特に研究に興味を持っていない人の目にも止まりやすいでしょうし、その最初の「興味」を呼び起こすきっかけにもなるのではないかと思われます。

中には、わかりやすさや面白さを重視するあまり、正確でない知識を拡散してしまっているケースなどもあるようですが、こうした試みは今後さらに重要になっていくのではないかと思います。

ただし、これらは主に研究非当事者による活動ということになってしまいますので、個人的には、個々の研究室がサイエンスコミュニケーションに長けた人材をスタッフとして置き「研究室公認VTuber」などを運営できれば面白く、また有効性もあるのではとも思います。もちろん現実問題としては難しいでしょうが…。

まとめ

・「科研費」や「運営費交付金」などの相対的 and/or 絶対的な減額は近年の日本の科学研究の低迷に強く関係していると考えられる
・科学研究予算の増額は重要だが、そのためには国民からの理解を得ることが必須
・国民からの理解を得るには謙虚かつ丁寧な説明に加え、積極的なアウトリーチ活動を行っていくことも重要と考えられる

以上です。日本の科学研究が、これから少しずつでも活気を取り戻していくことを願ってやみません。

*2024年9月13日追記
当該討論会の書きおこしが出ていましたので貼っておきます。


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