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「ひやっしー」は本当に問題なのか?


「化学者」村木風海氏について

最近、マスメディアをはじめ多くの場で取り上げられている村木風海氏という人物について、ネット等で賛否両論が沸き起こっているようです。

Wikipedia の記事

本人による自己紹介

専門は主に「CO2直接空気回収(DAC)」とのことで、CO2回収装置「ひやっしー」を開発・販売しています。

この装置は「地球温暖化の原因であるCO2を空気中から回収し、地球を“冷やす”装置ということから、“ひやっしー”と名付けた」とあるように、CO2の削減を意図した装置のようです。

しかしこの装置については「科学的に誤った宣伝をしているのではないか」との指摘が多数なされています。

多くの理工系学術関係者が指摘していたことから、私もその批判には基本的に賛同しておりましたが、最近の「ひやっしー」への批判の過熱を受け、少し慎重になるべきではないか、と思いました。

SNSで言われていることは必ずしも正しいとは限りません。特にツイッターという媒体は、情報拡散のスピードが速く、丁寧な議論が難しいことから「デマ」であっても容易に拡散されてしまいます。

そこで今回は「ひやっしー」の実態を確認し、本当に問題があるのか、あるとすればそれはどのような問題なのかを検証しておきたいと思います。

先に申し上げておきますが、私は当該分野においては素人ですので、もし有識者の方で本noteの内容に誤りを見つけられた方は、訂正頂けますと幸いです。

「ひやっしー」とは何か?

村木氏の立ち上げた「炭素回収技術研究機構(CRRA)」のウェブサイトにおいて「ひやっしー」がどのようなものであるかが説明されています。

「ひやっしー」のキャッチフレーズ(https://www.hiyassy.com/ より引用)

「ひやっしーは、世界最小のCO2回収マシーンです。」

「お部屋に一台置くだけで、ひやっしーがCO2を回収してくれるので、あなたも地球温暖化の解決に貢献することができます。」

という記述から、やはり「地球温暖化の解決」を意図した「CO2回収装置」であることがわかります。

そして「ひやっしーの中身を見てみよう」というページでは、この装置のメカニズムが説明されています。

「ひやっしー」の内部構造(https://www.hiyassy.com/%E3%81%B2%E3%82%84%E3%81%A3%E3%81%97%E3%83%BC%E3%81%AE%E4%B8%AD%E8%BA%AB%E3%82%92%E8%A6%8B%E3%81%A6%E3%81%BF%E3%82%88%E3%81%86  より引用)

ポイントは⑤の「CO2吸収カートリッジ(ABSB-VI)」です。

このパーツについては「CO2吸収カートリッジに導入された空気中のCO2のみが液中に溶解し、それ以外の窒素や酸素などのガス成分は反応せず通過します。」と説明されています。

その原理については「無機塩基系水溶液による化学吸収法」とのことです。

「お客様のご要望や用途により様々な水溶液種が選択可能」と記載されていますが、基本的には水酸化ナトリウムを使うようです。

これは特に変わった化学反応ではなく、下記のように表すことができます。

化学反応式1: 水酸化ナトリウムと二酸化炭素の反応(下記参考資料等をもとにChatGPTで記述)

(参考資料)

すなわち、二酸化炭素と水酸化ナトリウムから炭酸ナトリウムと水ができる反応を利用している、ということになります。

これを見ると、確かに二酸化炭素を回収できているようです。

では、一体何が問題なのでしょうか?

「ひやっしー」の問題点

「ひやっしー」の問題点は名城大学理工学部の永田 央教授がこちらのブログで指摘しています。

要点のみ引用すると、

1.「ひやっしー」は、部屋の中の二酸化炭素を減らして快適にする装置。
2.「ひやっしー」を動かすと、部屋の中で減らした以上の二酸化炭素を部屋の外で出すことになる。
3.つまり、「ひやっしー」は、地球温暖化や環境問題の解決には全くつながらない。

とのことです。

また、上記の朝日新聞の記事において、名古屋大学の山下 誠教授も「アルカリ水溶液にCO2を吸わせているだけ。アルカリ水溶液を作るのに出てしまうCO2より少ないCO2しか吸収できない」と指摘しています。

では、これは本当でしょうか?

「ひやっしー」によるCO2回収の定量的考察

水酸化ナトリウムの工業的製法を参照してみると「食塩のイオン交換と電気分解とを併用するイオン交換膜法によって製造」されるとあります。

すなわち、下記の反応を利用していることになります。

化学反応式2: 水酸化ナトリウムの工業的製法(上記の資料を参考にChatGPTで記述)


この反応自体ではCO2は発生しませんが、問題は電気分解に電力が必要になることです。

ChatGPTの力を借りて必要電力量を見積もってみましょう。

電解セルの電圧を3.5 V、反応の効率を90%と仮定した場合、1トンの水酸化ナトリウムの生成に約2,600 kWhの電力量が必要と見積もられました。

水酸化ナトリウム合成に必要な電力量の推計(ChatGPTによる)

では、次にこの電力がどれだけのCO2排出に結び付くかを推計してみましょう。

IPCC 2006 Guidelines for National Greenhouse Gas Inventories 等によると、発電に伴うCO2排出は次のように見積もられるようです。

石炭火力発電:820 g CO₂/kWh
天然ガス火力発電:450 g CO₂/kWh
石油火力発電:640 g CO₂/kWh
水力発電:0 g CO₂/kWh
太陽光発電:45 g CO₂/kWh
風力発電:10 g CO₂/kWh
地熱発電:38 g CO₂/kWh
原子力発電:12 g CO₂/kWh

そして、日本における発電の内訳を下記の通りとします。

石炭火力発電:30.8%
天然ガス火力発電:33.7%
石油火力発電:8.2%
水力発電:7.6%
太陽光発電:9.2%
風力発電:0.3%
地熱発電:3.7%
原子力発電:6.5%
*「その他」の部分は原子力に算入した

2022年現在における日本の発電の内訳(https://earthene.com/media/156 より引用)

この場合、発電量1 kWhあたりのCO2排出量はおおよそ463.05 gと推計されます。

ここまで書いた後で気づいたのですが、東京電力からは既に電力量あたりのCO2排出量が公開されておりました。

2022年度末現在では、0.457 kg / kWh とありますので、上記の推計はおおむね妥当であると考えられます。

よって、1トンの水酸化ナトリウム合成に2,600 kWhの電力量が必要とした場合、CO2排出量は1,203,930 g(≒1,204 kg≒1.2トン)となります。

一方、1トンの水酸化ナトリウムを用いて「ひやっしー」で回収できるCO2は、上記の「化学反応式1」を参照し、反応が100%生じたと仮定すると550 kg となります。

確かに、水酸化ナトリウム1トンあたり、化学反応だけでも 550-1,204=-654 となり、差し引き約 654 kg のCO2が余分に排出されてしまう計算となりま
す。

しかも「550 kg CO2回収」というのは最大限の甘い見積もりであり、水酸化ナトリウムが100%反応しきった場合の話ですので、実際のCO2回収量はもっと少なくなると考えられます。

また「ひやっしー」の装置自体の消費電力もあるでしょう。

「ひやっしー」の消費電力は38 Wと示されています。

また、CO2の回収速度については「1時間あたり、5.4gの(CO2)回収性能」と書かれています。

よって、550 kg の CO2を回収するには約10万時間「ひやっしー」を駆動する必要があり、これに必要な電力量は 3,869.56 kWh となります。

上述の通り、電力量あたりのCO2排出を 463.05 g / kWh とすると、これに伴うCO2排出量は約 1,792 kg となります。

つまり全体を見ると、550 kg のCO2を回収するのに1,204 + 1,792 = 2,996 kg、約3トンのCO2を排出してしまう計算になります。

また上述の通り、合成した水酸化ナトリウムが100%反応するわけではないことを考慮すると、CO2回収の効率はもう少し低くなると考えられます。

仮に 500 kg のCO2回収に3トンのCO2を排出するとすれば「回収量の6倍のCO2を排出する装置」ということになります。

これでは「大赤字」であり、到底「地球温暖化の解決に貢献」することなどできません。

すなわち「ひやっしー」を、もし地球温暖化対策(CO2削減)を目的とした装置として販売しているとすれば、そこには重大な欺瞞が含まれていると言わざるを得ません

ただ、注意すべき点として、化学反応そのものは別に嘘をついているわけではない、という点があります。一部には「ひやっしー」を「疑似科学」と呼んでいる人もいるようですが、その表現はやや言葉が強すぎると思われますので、批判の際には注意すべきだと思われます。

「ひやっしー」の未来について

上記の通り「ひやっしー」は現状では回収する以上の量のCO2を排出してしまう装置であるため「地球温暖化の解決に貢献」するとは言えず、むしろその逆の効果を持った装置と言えますが、それでは「ひやっしー」が完全なる無用の長物である、と断定できるかと言えば、そうとも言い切れない部分もあります。

上記の推計は、現代日本の電力事情に基づく計算ですが、例えば仮に発電を全面的に原子力に切り替えたとすれば、発電に伴うCO2量は1/10未満となるため「ひやっしー」でも「黒字」を出せる可能性があります。

(水酸化ナトリウム合成に伴う塩素や二酸化炭素回収で生じる炭酸ナトリウムをどうするか、といった問題もあるでしょうが、それはそれとして。)

現在「ひやっしー」を批判している人たちも、こうした定量的視点をどれだけ持っているかというと疑問があります。

村木氏についても、現状をふまえると不誠実な説明を行っているとの指摘は免れないでしょうが、今後それらの問題を解消する意欲を持っているのであれば、全否定して潰そうとするような一部の動きも、また妥当とは言い切れません。研究そのものについては、今後の経過を静観すべきではないかと思います。

科学的な批判の難しさ

私は、彼の心意気や行動力については評価すべきだと思いますが、科学的に誤った表現で商品や自分自身を売り込む行為については、しかるべき批判をしていくべきだと思います。特に、彼は「なんとなくすごそうなイメージ」を相手の中で、特に科学知識のない相手の中でふくらまさせて自分の支持者に変えてしまう手法を得意としているようですが、これは極めて不誠実な行為であるため、厳しく批判されるべきだと思います。

最近はマスメディアや官公庁までもが、彼の「イメージ戦略」に取り込まれているように見受けられますが、これは憂慮すべき事態と言えるでしょう。彼の「イメージ戦略」に惑わされることなく、今少し、冷静に対応した方が良いのではないでしょうか。

一方で、批判についてはあくまで個別具体的な事実・発言に基づく指摘を行っていくべきであり、彼を「エセ科学者」とするイメージばかりを膨らませるのも適切とは言えません

科学は「イメージ」ではないのです。「すごそうなイメージ」だけで評価させようとするのも「エセ科学のイメージ」ばかりを喧伝するのも、どちらも妥当ではありません。もちろん、未来のビジョンを描くときなどは「イメージ」は重要ですが、現実における技術や製品の意義や問題点を議論するためには、しかるべき知識を身に着けた上で、定量的な議論を行っていく必要があります。これは面倒くさい行為であり、ともすればスキップしたくなってしまうことでしょう。しかし、それを地道に行っていくことこそが、科学技術の礎となるはずです。

(追記)2024/7/9
以前永田教授のブログを紹介されていた cwt 様よりコメントを頂いたのを受け、反応効率の考慮など、一部を微修正しました。また、結語の部分も一部改訂しました。

加えて下記のまとめをご紹介いただいたのでこちらに添付しておきます。


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