人は話したいのではなく、聴いてほしい
取材、会議、日常会話、人生相談。
人はありとあらゆる場面で話をしている。
職場の同僚や先輩・後輩、取引先の方、家族、友だちなど、自分の身の周りの人とたくさん話をしている。
そんな中で、ぼくは取材をおこなうときに意識していることがある。
それは、相手の話を「聴く」ことだ。
いやいや、なにをそんなあたりまえのことを、と思ったかもしれないが、意外と話を「聴けて」いない人もいるのではないだろうか。人の話を聴くのは簡単なようでむずかしい。ちょっと気を抜くと話を「聞き流して」しまったり、頭の中で違うことを考えてしまったりするものだ。
思い当たる節はないだろうか。
過去にこんなことがあったのでお話しておきたい。
数年前の話なのだが、仕事の関係で、とある営業の方と知り合った。
定期的に顔を合わせるようになり、仕事以外の雑談もよくしていた。
仲はよかったほうだと思う。
ただ、ある日を境にだんだんと話をするのがしんどくなってきた。
その理由は、相手の方がこちらの話を「聴いていない」と思ったからだ。
いわゆる、アイスブレイクだったり、何気ない日常の話だったり、仕事の話だったり、いろいろ話はするものの、ぼくの話をちゃんと聴いていない。
こっちは「訊かれた」ことに答えているのに、相手の方はちゃんと「聴いて」いない。
相手の方の相づちや目の動き、返してくることばでそれは分かる。
顔を合わす度にそんな状況が続いたので、ぼくの口数は次第に減っていった。
ちゃんと話を聴いてくれないのであれば、答える(話す)必要もないなと思ったからだ。
実体験としての一例ではあるが、このようなことは至るところで起きているのではないだろうか。特に商談やプレゼンの場面では、自社の商品やサービスをアピールすることで頭が一杯になり、「ヒアリング」がおろそかになっているように思う。
顧客からすると自分の話を聴いてくれない相手のことは信用もできないし、仕事をお願いしようとも思わないだろう。
優れた営業の方々が「ヒアリング」の大切さを口にしている理由はここにある。
人は「話したいのではなく、聴いてほしい」のだ。
仕事の仲間や友だちの悩みも、話したいのではなく、聴いてほしいのだ。
なにか答えがほしいんじゃなくて、「うん、うん」だったり「そうなんだ」だったり、話を聴いてほしいのだ。
真剣に、誠実に。
取材も同じことがいえる。
相手の話を聴く。
取材のテーマから脱線したとしても聴く。
むずかしい話や用語が出てきたとしても聴く。
一つひとつ、ていねいに聴く。
これは読者を代表するライターの責任でもある。
聴くことをおろそかにしてはならない。そのことで取材相手の大切な話をする機会を奪ってはいけないし、相手の話を蔑ろにしてはいけない。
書くことよりも「聴く」ことを意識する。
「あなたに聴いてほしい」「あなたに取材してもらえてよかった」
そう言ってもらえるように、がんばっていきたい。