「誰かのためになにかをする」ときは「本当にその人のためなのか」それとも「自分のためなのか」をじっくり考えた方がいい
う〜む。
朝ドラ「舞い上がれ」を見ながらそんなことを考えてしまいました。
五島に住む「ばんば(祖母さんです)」が倒れます。
察するに、脳血管が原因なのか、左上肢不全麻痺な感じです。
歩けるけれど、左手がよく動かない。
医師は「これから一人暮らしはむつかしい」と言います。
船はもちろん今後は運転できません。
大阪に住む娘めぐみさんは、最初はばんばの介護のために五島に行くことも考えますがばんばを説得し、東大阪に呼び寄せます。
めぐみの工場の経営と、娘の舞も企業をたちあげ、子育てもあって。
それでも。忙しい中ばんばの居場所を作ろうとみんなが一生懸命になってます。
うん。
まちがってない。
彼女たちは「医者が一人暮らしがむつかしい」って言ったのを守り、とても丁寧に環境を整えてくれました。
でも。医療と介護のちがいって、こんな微妙なところにあるんだなあと思いました。
医師はひとり暮らしはむつかしいと言ったけれど、果たして、ばんばは孤立した一人暮らしなのでしょうか?
遠慮なくドアをあけて入ってくる近所の人たちに囲まれています。
そして、船だけではなく、ジャム作りなど、ばんばは島で、大切な役割を持って生きています。
わたしは、ばんばにこう尋ねたいです。
子供さんたちに囲まれ東大阪で暮らすのと、今のまま五島で暮らすのとどちらがいいですか?
一番大切なのは「自分がどういうふうに暮らしたいか」ということだと思うんです。
もちろん、医療的にはリスクはあるかもしれません。でも、どこにいてもリスクはありますよね。
ばんば自身は、どこで生活して、どこで最期を迎えたいんでしょうか?
ひとりで気丈に生活していたばんばは「引き続きここで暮らしたい」と言うかもしれません。
そのときは、医師にそれを伝え、安全に過ごせる方法を提案します。
デイケアやリハビリも必要かもしれません。定期的にヘルパーの訪問がよいかもしれないけれど、近所の人だけで事足りるかもしれません。
いや。
そもそも。
今の状態では要介護は出ないでしょう。要支援1くらいだと思います。
親のことを思い、工場をゆずって一緒に五島で暮らそうと思っためぐみさん。
結局は東大阪での暮らしをはじめたばんば。
家族なら当然の気遣いなのかもしれません。
でもね「家族なら当然」ってすごく危険な呪いの言葉にもなるし、自己満足の言葉にもなれるんですよね。そしてもちろん、その言葉は「いろんなものを拘束したり強制したり」できるんです。用心した方がいい。
ケアマネは医療とは違うので、すべてのリスクを取り除いて安全な生活を送ることだけを目的としません。
「どういうふうに生きたいか」に耳を傾け、それに向かって、支援を作っていくのが仕事です。
誰かのためによかれと思って。
ということを私も繰り返しやってしまいます。
でも、それは、本当に「その人のため」なのでしょうか?
案外、自分のためなのかもしれません。
朝ドラ全体から見れば「針のあな」みたいな小さいことかもしれないけれど、「医者のひとことで、自分の人生決めちゃダメだよ」と、今週は小さくつっこんでしまったのでした。