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呟き.

昨日ゴミ出しに行った時に, 視力補正をなにもしない状態で外に出たら自分が見ている, 感じとっている“環世界”のフォルムが乱視に影響されていたのを改めて思い出して感慨に耽った. 

解像感は個々に違えど, そうした知覚計算機のバグだったり特異性だったりする差分がその人の感性を物語っている. 今ではADHDやHSPが社会的価値体系の中で, 有意なポテンシャルを持っている可能性が高いファッションとしての用語に移り変わり辟易しているのだけれど… 

健全に生き抜くために補正するのは必要だろう. けれど, 補正の過程で感覚的に得た感性も侮れないよなと思う. でも障がいをお持ちな方々にとっては辛い経験かもしれず, そんな補正を望んでもいない方もいらっしゃるだろう. ただ僕は, そうやって望んでもいないが得た感性は大変尊いなと思うわけだ. 

共感覚な人生を送っていると, もろに違う感覚で世界と触れ合っている人達の感性を美しいなと思ってしまう. 

主観でしかないのだから, 共有できる喜びはなお深いのではなかろうか. 個人の自由だからこそ, 虚構や幻想の影を映し出してる光源を探したくなるのではなかろうか.そしてそれはさぞかし恍惚で風光明媚なのでは. 

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