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イチローの会見を見て。メディアの余裕と敬意について思ったこと

約80分におよぶイチローの会見をLIVEで全部見た。

イチローは27歳の僕にとって、歴代一番のスーパースターと言っても過言ではない。「イチローは今日ヒットを打ったかどうか」は、学生時代毎朝の関心事だった。

そのイチローのイチロー節を久しぶりにテレビ越しに見て、とても感慨深くなった。と同時に、ネットニュースメディアの仕事をしていることもあって、記者の目線で会見を見ている自分もいた。

Twitterでも騒がれているが、会見での記者の態度と質問には、疑問が多くあった。

イチロー自身が「話し聞いてます?」「さっき答えましたよね?」と指摘した態度。それなんかズレてない?それ本当にイチローが素直に答えると思っているの?と思う質問も多々あった。

ある程度引退会見であることは予想がついただろうに。もっと的確な質問を用意できなかったのだろうか。

メディア側に余裕がなく、敬意が欠けているのを感じた。

もし自分があの場で記者をしていた場合、同じようになってしまうのだろうか?

ニュースメディアはスピード勝負。競争相手は他社。現場の記者にはいち早く記事をアップしなければ、PVに貢献せねばというプレッシャーが重くのしかかっている。

それは、取材相手への敬意を欠いてしまうほどに。

イチローが「話し聞いてます?」と指摘したのは、恐らく質問者であるにも関わらず、記者がイチローの回答を目を見て聞かず、パソコンをカタカタして記事の準備をしていたからだろう。

ニュースメディアはスピード勝負であるにも関わらず、人数は少ないことが多く、運営する方に余裕を作りづらいというのは、僕も当事者である分気持ちはよく分かる。

ただ敬意を欠いてまで、優先しなければならないメディアの意義とは?

僕の関わるメディアの一つの意義は、(仕事なので詳細は言えないが)あるジャンルについてポジティブに興味を持ってもらい、そのジャンルがより発展すること。

ゆえに、くだらないワイドショー的なネガティブな話題は扱わなかったりする。

僕自身もそのジャンルのことが好きだし、”正しく注目されて”発展してほしいと思っている。

ジャンルの発展を願っていることと、それによって飯を食わせてもらっている身としては、やはり敬意は忘れてはならない。

そう再認識させられた会見だった。

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