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マスゴミになりたくない

とある分野のニュースメディアの運用に携わって、短いながらも何年か経ちました。

曲がりなりにも報道に携わっている人間にとって(もちろんそうでない人にとっても)、2020年は激動の年。

永遠のテーマではありますが、メディアのあり方、報道のあり方について最近は余計に考えさせられます。

新型コロナ、SNSの誹謗中傷、人種主義。

とりわけセンシティブな話題を、どんな表現で、どんな方向性で取り扱うべきか。

センシティブだから

新型コロナが本格的に生活に影響を与え始めた頃、なんなら今もですが、色んな情報が錯綜しました。

「本当に正しいの?」「これは誤報では?」「この内容はちょっとフライング過ぎるのでは?」

何が正しくて何が間違っているのか、こんなに訳がわからないことになったのはこの仕事に携わってから初めてのこと。

そしてメディアのダメなところが、これまで以上に目立っています。

緊急事態宣言期間外で原宿に人がたくさんいる映像や、電車の引退に人が押し寄せる映像を、まるで宣言下のものであるかのように報道。

人種主義を認めるかのような、まるで倫理が感じられない報道。

炎上しているのを眺めている側としては、「なんで燃えないと思ったの?」と思わざるをえない稚拙な間違いばかり。

僕の大好きなフジロックも汚されました。なぜ、主催者が発表していないのに、中止を決定事項として伝えるのか。

ビジネスだから

メディアのあり方、報道のあり方について悩まされる理由は「センシティブだから」だけではありません。もう一つ大事な要素として、「ビジネスだから」というのがあるからです。

「ビジネスだから」、つまり利益を出すために、あの手この手で人を集める必要があります。

報じるべき社会的意義がある、メディアとして報じる意味があると思ったネタは、雀の涙みたいなPVしかつかなかったりする。

じゃあどんなネタはPVが稼げるのか。

例えばゴシップ。ネットニュースを見てると「なんでこんな内容がニュースになるの?」といったコメントがあったりするけれど、それはPVがつくからです。

後者の方が100倍以上PVを稼ぐことなんてザラ。

無理して言えば、ゴシップには、そのモノゴトに本来関心がない人にも興味を持ってもらうキッカケを作るという意味はあります。

しかし、PVのことだけを考えてゴシップや過激な表現に固執してしまう可能性を孕んでいる。

そういうメディアのスタンスが、SNSでの誹謗中傷の事件の一端にあると思います。


本来ならただただ真っ当だと思うことをやっていたい。しかしそれではビジネスとして成り立たない。

真っ当にやって成り立たないなら、ビジネスモデルとして破綻しているとさえ、思ったこともありました。

でもそれを僕だけが考えても仕方がない。

今はバランスを取ることを考えています。

一線を越えてはいけない。

マスゴミにはなりたくない。

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