泣いていることを知られなくてよかったと安堵した。そんな自分が嫌だった。

 ベッドの中で、通知を待っている。
 彼からの「おまたせしました」の8文字を待っている間、私は不安で泣きたくなる。理由はわからない。ただ、私ではない誰かが彼と話しているかもしれないという妄想が、頭を埋め尽くす。
 きっと、おそらく、ぜったい、無いと思うのだけど。

 私には年下の恋人がいる。お付き合いをはじめてから、もうすぐ3週間が経つらしい。らしい、というのは、忘れっぽい私が記念日を忘れないために登録したアプリがそう言っている。正直、私も彼も記念日を祝うたちではないから、覚えている必要はない気がする。

 彼と私は、毎晩電話を繋いで眠る。恋人になる前からそうしていた。
 お互いすぐに抱きしめあえる距離にいないから、声と声で心を抱きしめあう。会いたいと思っても、すぐには会えない。新幹線で2時間と少し。遠すぎはしないけれど、近くもない。


 私と彼は、とある配信アプリで出会った。世の中に数十とある配信サービスのうちのひとつを「暇だから」という理由でインストールし、いそいそと配信をはじめてみた私のところに来てくれたのが彼だった。

 顔を映すこともなく、特に面白い話しができるわけでもない私のところに来てくれた彼とは、もう1年以上の付き合いになる。
 もう1年経ったのか、と思う。私と彼は、声を交わして1年を過ごしてきた。毎日のように配信をしていた私は、きっと週に数回は彼と言葉を交わしていた。彼もまた配信をする人だったから、私は彼の声を聞きに行った。

 声には色があると思う。知らない人と話す時、ワントーン上がってしまうようなもの。ふざけながら友人とお喋りするときの、ちょっとだけ粗雑な声。眠気に勝てないときの、少し幼い声。心を許した人にだけ聞かせるような、静かで優しい甘い音。

 私は彼の声が好きだ。一番は、気を張っていないときの綿菓子みたいな声。きっと彼は否定するだろうけど、私にとって彼の声は夜道で食べる綿菓子のよう。
  でも、どんな時も彼の声を聞くだけで不安も何もかも消え去って、幸せで満たされていく。きっと、彼のくちびるからこぼれ落ちる音が好きなだけ。


 四六時中、という言葉通り私と彼は通話をしている。世の中は便利なもので、ネット環境さえあれば何時間だって無料で繋がっていられる。これがなかった頃の人は、どうやって遠距離恋愛のさみしさを埋めていたのだろう。

 お風呂から出て、肌に化粧水と乳液を塗り込めて、髪を乾かして。その日で一番きれいになった私は、彼に合図を送る。
 特に約束をしているわけではない。ただ、毎晩そうしている。私は彼の音を聞かないと眠れない人になってしまった。

 彼にだって事情はあるから「少し待ってて」と言われることもある。私はおとなしく待っている。気持ちは正座をしているけれど、本当はベッドで枕を抱えてうずくまっている。

 たった十数分が数時間にも感じられる。昼間なら思わない、空白の時間。私にだってひとりになりたい時はあるし、電話ができない時もある。頭ではちゃんと理解している。わかっているけれど、心は理屈で動いてくれない。

 「おまたせしました」の文字を待って、私は何度もスマートフォンの画面を確認する。通知が来ていないだけじゃないか、とメッセージアプリを起動する。来ているはずもない。忘れんぼうな私と違って、通知はちゃんと仕事をしている。

 今夜も声を聞けるのかな。
 本当は、めんどくさいんじゃないかな。
 静かに寝たい時だってあるよね。待っている間に、寝たふりをした方がいいのかな。

 ぐるぐると心と頭を行き来する感情を持て余して十数分、彼からのお許しがくる。震えたスマートフォンを見つめて、私はすぐに内容を確認するのに、ロック画面に映し出された文字を眺めて固まる。

 昨晩の私は、溢れ出していた不安を押し込めて通話開始のボタンを押した。


 泣いていることが知られなくて良かったと思う。私の声は眠そうに幼かっただろうし、少しだけとり繕って聞こえていただろう。
 私は少しも眠くなかったけれど、蓋を破って漏れ出てしまいそうな不安を悟られないように、私は眠ってしまったふりをした。

 「ねぇ」と小さく彼を呼ぶ。スピーカーにしたスマートフォンから微かな寝息が聞こえてくる。彼が眠ってしまったことを確認して、私は丁寧に押し込めた不安たちを外に出して並べていく。
 部屋はほのかに明るい。私と彼をつなぐためのルーターの光が、チカチカと揺れている。大丈夫、繋がっている。

 私じゃない誰かと恋しあう彼を想像して、心を傷つける。元カノにもきっと、彼は惜しげもなく「好きだよ」と伝えていたに違いない。あの、綿菓子みたいな甘い声であの子の名前をよんだのか。

 醜い。醜くて汚い私の嫉妬心。私はそれを、彼に知られたくない。絶対ないと言い切れる、彼が私以外の人を好きな妄想をして涙を流す。これほど無駄なことはないと知っている。
 私は私の心を傷つける時間を、心を削る作業とよんでいる。身体を傷つけないこれは、きっと心の自傷行為。

 私は彼の寝息を聞きながら、涙を堪えきれなかった。泣き声で彼を起こしてしまわないように、バスタオルに顔を埋めて声を殺して泣いた。号泣ではなかった。物語的な表現をするのであれば、頬を伝い落ちるような静かな涙だった。

 こんなにも醜い私を、彼に知られなくてよかったと思った。私は泣きながら、彼に本当の私を知られたくないと考えた自分に落胆した。

 浅ましい、浅ましい。醜くて仕方がない、私の恋心。

 今、彼の声を聞きながらこれを書いている。「なに書いてるの?」と聞く彼に「noteだよ」と答える。内容を聞かれても「ひみつ」と隠してしまう。

 彼は私がnoteを書いていることを知っていても、このアカウントを知らない。いつか読まれてもいいと思った時、教えようとは思っている。
 その時が来るかは、わからない。

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