心を平坦にするって、どうやったらできるんだろう。
外面がいいと思う。
会社ではいつもにこにこするように気をつけている。頼まれたことは基本的に二つ返事でこたえるし、怒りを外に出すことはまれだ。たまには人間らしい感情があった方がいいかな、とちょっとだけ不機嫌なふりをするけれど、3秒も持たない。本当は、そんなことがないから。
昔の私は感情の起伏が激しい方だった。すぐ怒るし、悲しくなる。父親には「泣いたら許されると思うなよ」と言われるのが常だった。許されたいから涙を流したわけじゃないのに、そう伝えるのが難しいほど感情の波が私を支配していた。
いつからだろう、泣かなくなった。常に笑うようになった。人に興味のないふりをして、感情のない人間になろうとした。心が平坦なことが大人だと思っていたし、それが素晴らしい人間だと思っている。
どれだけ外面を取り繕ったとしても、私の感情は消えない。下っ端だからしょうがないと諦めているけれど、本当はやる必要のない仕事を頼まれる。頼まれる理由は、「煙草を吸ってくるからよろしく」と。煙草を嗜む同期はその先輩と一緒に行くから、必然的に頼まれるのは私になる。私は、煙草を吸わないから。
しょうがないと納得しようとして、納得できないと心が喚く。どうして私が?って思っているのに「ゆっくり吸ってきてください」と送り出す。
このご時世だからか、ビルの中は完全禁煙だ。煙草を吸うには、近くの公園までいかなければならない。約20分が2回とか3回とか。私は納得したふりをして、笑っている。
「素直で良い子だね」と言われることが多い。困ったときに頼られるのは嫌じゃない。それでも「素直で良い子だね」は「都合のいい人だね」と同義じゃないのか。そうして褒めたふりをしておけば、笑顔でいうことを聞いてくれる都合のいい後輩。
何かに気づいたとき「やっておいてよ」と言われる。私の仕事じゃない、と思う時もある。気づかないふりをすれば気が利かないと言われる。仕事ってそんなものだと思う。お金をもらっているからしょうがないと納得する。
笑っていれば全てがうまく行くと思っていた。実際、私が感じるもやもや以外はうまくいっているのだろう。そういう役を求められている。私は反抗しない良い子で、都合のいい人。それで良いんじゃないか。
心が平坦であれば良い。嬉しくもなく、悲しくもない。感情のないロボットになって、淡々と仕事ができる人だったならよかったのに。よかったのに、が溢れるから私はロボットになれないし、こうして文章を書いている。
言葉にしないことに慣れている。他人から見た自分を常に意識して生きている。本当の心を曝けだせる場所なんてないって喚いたら、今日答えたストレスチェックに引っかかるのかな。
この前、私は少しだけ本音で恋人と話しをした。私の恋人は優しい人なので、私の気持ちをちゃんと汲んでくれる。その優しさが辛いと言ったことはないけど、不安な気持ちを吐露した私を大丈夫だよと慰めてくれた。
嫉妬しないなんて嘘だし、本当は声を聞いていたい。寂しいって言ったら困るだろうかと思っている。たまには言った方が彼女らしいかもしれないからと言い訳して、溢れ出そうな感情を少しだけ伝えてみる。そうして甘やかされたから、きっと私は失敗したのだ。
「なんでそんなことするの!だいっ嫌い!」
言いすぎた、と思ったときには遅かった。些細なことだった。彼が寝たふりをしただけ。私はあのとき、彼を許すべきだったと思う。
本気で嫌いだなんて思っていなかった。恥ずかしかっただけだし、恥ずかしい気持ちを隠すための言葉だった。じゃれるように伝えたけれど、黙ってしまった彼にやってしまったという気持ちが拭えないでいた。
ごめんなさい、本当はだいっ嫌いなんかじゃないの。本当は大好きなの。
言い訳じみていると思う。私の中の何かが「自分の発言に責任を持て」と叱責してくる。簡単な言葉で彼が傷ついてしまうことを知っていたのに、私の甘やかされた口から投げつけてしまった言葉。どこかで許されると思っていたのかもしれなかった。
感情を持たないロボットだったらよかったのに。彼の思い通りになる人形でいられたらよかったのに。彼専用のAIを組み込んで、彼の喜ぶ言葉だけを口にしていたい。私の幸福は、彼が幸福でいることなのだから。
少しでも思ったことは言って欲しいといつもいう。彼にはそう要求しておいて、私は言わないでいる。隠し通すつもりなのにどうしてかバレてしまうのは、私が隠し事が下手なだけか、彼が私の感情を汲み取るのが上手なだけか。
「へぇ、人には言わせるくせに、言ってくれないんだぁ」
彼は冗談のように私に言う。本当は知って欲しい醜い感情を拾い上げようとしてくれる。私はその優しさに甘えて醜さを吐き出して彼を困らせる。
笑顔でなんでも答えられる人になりたい。醜い感情を抱きたくない。納得してなくても飲み込んでしまえる人がいい。寝たら、感情を忘れていたい。
私が煙草を吸う人だったら納得できただろうか。理解できないから納得できないだけなんだろうか。優しさに甘えることを知らなければ、泣いていることを知られたくないと思うこともなかっただろうか。
昨日、彼は感情のコントロールができないからと通話を切り上げた。彼と恋人になって初めて、私は本当にひとりで眠った。泣けないまま、思考がぐるぐると同じところを回っていた。
メッセージアプリに、逃げるための言葉を打ち込む。日課の朝の通話も、気にしなくていいからね、と。
本当はかけてきて欲しいのに、そうやって相手に任せるのは悪いくせだ。明日「あなたと別れたい」と言われてもいいように、そっと覚悟を決めて目を閉じる。
朝、電話はいつも通りかかってきた。
安堵していつものように応対する。何かを変えてしまえば、終わってしまう気がした。