『だから古典は面白い』全文公開:第9章の4
『だから古典は面白い 』(幻冬舎新書)が3月26日に刊行されました。
こんな時こそ、古典の世界に救いと安らぎを求めましょう。
これは、第9章の4の全文公開です。
4 プッシュされるものを聞くだけとはあまりに愚か
古典文学を読むなど、論外?
先日、ある人と話していて、大変ショッキングな話を聞きました。
その人が言うには、いまの若い世代の人たちは、音楽を聞いて良かったと思っても、それをもう一度聞こうとはしない。つぎつぎにプッシュされてくるものをただ聞いているだけだというのです。実際、TikTok で流している動画は、15秒の長さしかありません。
動画ですらそうなのですから、ましてや、「クラシック音楽を聞いたり、古典文学を読むなどは、論外」ということになるでしょう。
「そうしたものは、あなた方、古い世代の人だけで楽しんでください。私たちには関係がない」というわけです。
非効率な作業をやっていただいて、ご苦労さま
私は、こうした人々の行動にはまったく賛同しかねます。
なぜなら、それは、この章の2で述べた「自然淘汰の法則」から見て、まったく馬鹿げた行動だからです。
そこで述べた考えによれば、いつの時代においても、突然変異が試みられます。音楽でも文学でも、どの時代においても、新しいものが生み出されます。
しかし、それらのうち大部分は淘汰されます。そこで淘汰されなかったものが、生き延びて古典になるのです。
「プッシュされてくるものをつぎつぎに聞いているだけ」という人々は、その反面で、淘汰の過程をくぐり抜けてきた古典を読んだり聞いたりはしません。
淘汰過程をくぐり抜けてきたもののほうが、その時点で新しく生まれるものに比べて質が高いのですから、誠に無駄なことに時間を使っていることになります。
つまり、新しいものだけを求めるというのは、実に愚かなことなのです。ほとんどが質の低いものを見たり聞いたりしているのですから、非常に非効率的なことです。
これでは、本章の3「生産者の論理は消費者の論理と違う」で述べたビジネスの論理に振り回されているだけです。
古典を知らずに過ごすのは、あまりにもったいない
もっとも、こうした人たちの行動にまったく意味がないとも言えません。それは選別過程を手助けしているからです。この人たちが積極的に選択をしなくとも、AI(人工知能)が彼らの行動をモニターし、分析しています。
選別の過程がないと淘汰のメカニズムは働かないので、この人たちは、結果的には社会の進歩に寄与していることになります。
その意味で、「ご苦労さま」と感謝しなければならないでしょう。
これはもちろん皮肉ですが、真面目な話として言えば、考えを変えて、古典に目を向けてほしいと思います。
古典に接するのは望めば簡単にできることなので、そうしたチャンスを知らないで過ごしてしまうのは、あまりにもったいないことです。素晴らしいものがあるのに、それを見ないで終わってしまうのは、まったく残念なことです。
古典に関心を示さず、ただプッシュされてくるものを受け入れる人は、いつになっても満足することはないでしょう。「古典などは別世界のもの」と考えている人は、本書で紹介している本の一冊でも良いので、読んでいただきたいと、切に思います。
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