『だから古典は面白い』全文公開:第9章の6
『だから古典は面白い 』(幻冬舎新書)が3月26日に刊行されました。
こんな時こそ、古典の世界に救いと安らぎを求めましょう。
これは、第9章の6の全文公開です。
6 宇宙を相手にする仕事と、人間を相手にする仕事
宇宙を相手にする仕事は難しくなっている
人間の仕事には、宇宙を相手にするものと、人間を相手にするものがあります。
電波望遠鏡でブラックホールを撮影したり、小惑星から岩石を採取したりするのは、前者の仕事です。私は子供の頃から、こうした仕事に憧れていました。
しかし、こうした仕事に就くには、経済的な条件が必要です。収入を得られなくても問題がないような強固な経済的バックグラウンドがなければなりません。
私の場合、そのようなバックグラウンドは望むべくもなかったので、こうした職業に就くことは、最初から論外でした。
人間を相手にする仕事にも、いくつかの種類があります。
まず特定の人々によって評価される仕事と、不特定多数の人々によって評価される仕事があります。役所をはじめとする組織の中での仕事は、前者の典型的なものです。小規模自営の小売業などは、後者です。
この中間にさまざまな仕事があります。
物書きの仕事は、そうした中間的職業の一つです。編集者という目に見える特定の人々によっても評価されるし、読者という目に見えない多数の人によっても評価されます。
インターネットの利用拡大に伴って、目に見えない多くの人々によって評価される度合いが強くなりました。これには、良い面も悪い面もあります。 ただし、宇宙を相手にするような仕事からどんどん離れていくことは、否定できないでしょう。
『罪と罰』は、読者を捉える努力をしなかった
人類の歴史で、これまで沢山の書物が書かれてきました。
その時々の人々を対象にして書かれたものが多くあったと思われますが、その大部分は失われました。
残ったのは、人間を相手にしてはいるが、宇宙を意識して書かれたものです。ゲーテ、トルストイ、ドストエフスキイなどの作品は、そうしたものです(この人たちの場合には、「宇宙を相手にする」というよりは、「神を相手にする」というほうが適当かもしれません)。
第6章の1で述べたように、『罪と罰』では、最初の何十ページにもわたって、実に退屈な文章が続きます。読者を捉えようという意図など、少しも見られません。
こうした文章を書くことができた時代の作家たちを、羨ましく思います。
ただし、これは書き手の立場からの嘆きであり、読者にとっては問題ではありません。なぜなら、『罪と罰』を読もうと思えば、いつでも読むことができるからです。
現代の世界で、宇宙を相手にした作品が生まれていないとは思わないのですが、そうしたものを見出すのは至難の業です。そうした努力をするよりは、古典を手に取るほうがずっと簡単でしょう。
古典を読むほうがよいというのは、決して高尚な精神論ではなく、単純な計算からの、極めて功利的な損得論なのです。
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