見出し画像

『入門 米中経済戦争 』:全文公開 はじめに

入門 米中経済戦争 』(ダイヤモンド社)11月17日に刊行されました。
これは、はじめに全文公開です。

はじめに

米中対立が世界の行方を決める
 2018年に始まった米中貿易戦争は、その後、収まる気配がない。それどころか、ますますエスカレートしている。貿易だけでなく経済全般に及び、米中経済戦争、あるいは米中対立としか言いようのない事態になってきた。
 米中対立は、最初は高関税の掛け合いだった。しかし、その後、特定企業との取引禁止など、さまざまな手段が米中双方で行使されており、複雑な様相を呈している。衝突は、半導体、IT企業、AI(人工知能)などの分野を中心にして起きている。
 21年になってからは、アメリカは対中貿易赤字だけではなく、中国の国家体制を問題にするようになった。一方、中国では、IT企業に対する規制が強まっている。これは、IT企業だけを対象とするものではなく、中国の基本的政策が大転換していることの一部と見ることができる。つまり、これまでの改革開放路線から共産党の原点への回帰が起こりつつあるのだ。
 米中対立もそうだ。これまで、米中対立はトランプ前大統領の「アメリカ第一主義」によって引き起こされたものであると考えられることが多かった。しかし、そうではなく、中国側の外交政策の変化が基本的要因であるのかもしれない。
 そうだとすれば、いまわれわれが見ているものは、世界史上の大事件だということになる。それは単に中国の将来に重要な影響を与えるだけでなく、世界のあらゆる人々の仕事や生活に大きな影響を与えるだろう。
 米中対立が今後どのように推移するかは、世界の将来を決める最も基本的な要因だ。これは、米中両国だけではなく、世界のあらゆる国に影響を与える。どんな国も、その影響を免れることができない。日本は、対中依存度が高いことから、とくに大きな影響を受ける国の一つだ。他人事として傍観するわけにはいかない。本書は、米中対立のさまざまな側面を説明するとともに、それらがもたらす影響について論じている。
 これらは、実務に携わっている方には直接的な意味を持つ。したがって、いま何が生じつつあるかを正確に把握し、それに対応する必要がある。米中対立の影響は、どのような仕事をしている人にも及ぶ。だから、この問題は、多くの人が知っておくべきものだ。
 本書の執筆にあたっては、経済に関連した仕事に従事していない方でも予備知識なしに読んでいただけることを心がけた。このため、各章に「キーワード」と「まとめ」を設けた。
 最も強く心がけたのは、現象の表面をなぞるのではなく、その根底にあるメカニズムや変化を捉えることだ。そうしたものを把握しないかぎり、いくら情報を集めても、断片的な事件に振り回されるだけの結果に終わるだろう。「分かりやすい解説書」の罠に陥ってはならない。

本書の構成
 本書の構成は以下のとおりだ。
 第1章においては、中国の歴史を概観し、米中貿易戦争の概要を説明する。バイデン政権になっても、対中強硬姿勢はそのまま残っている。中国の国家体制が問題にされるようになったという意味で、対立はむしろ激化した。
 第2章においては、米中対立の本質を理解するために、1950年代の米ソ対立や80年代の日米貿易摩擦との比較を行なう。また、「中国が安い輸出品でアメリカの労働者の職を奪う」という考えは誤っていることを指摘し、自由貿易の重要性を説明する。
 第3章では、新型コロナウイルスを早期に克服した中国に続いて、アメリカ経済も急回復していること、中国の対米輸出が減ってアメリカの対中貿易赤字は減少したこと、しかし、アメリカの対世界輸出は2020年には減少、貿易収支の赤字が拡大した半面で、中国の対世界輸出は増大し、黒字が拡大したことなどを指摘する。中国は世界の工場としても、市場としても、存在感を強めている。また、この章では、日本経済の立ち遅れと、その原因についても述べる。
 第4章においては、半導体不足問題、中国の輸出管理法、レアアース輸出の制限、中国のデータ安全法によるデータの持ち出し規制などについて述べる。
 中国からのリショアリング(製造業の国内回帰)が言われるが、世界経済の対中依存は、今後むしろ強まるだろう。こうした状況で必要なのは、自由貿易主義の原点に立ち戻ることだ。
 第5章では、中国の科学技術について見る。コロナワクチンの開発、火星探査機の着陸成功などの成果は、中国がその量的巨大さを国家プロジェクトに集中できることによってもたらされた。世界の大学ランキングで、中国の大学の躍進ぶりが目覚ましい。工学部関係では、ランキングのトップを中国の大学が独占している。ユニコーン企業でも米中への集中が見られる。しかし、米中経済摩擦は、ユニコーン企業にも影を落とし始めている。中国ではプライバシーについての国民意識が高くない。中国社会のこのような特殊性が、AIの開発に有利に働いている。アメリカはこうした事態に危機感を強めており、中国のAI先端企業に対する制裁措置をとっている。
 第6章においては、中国当局によるIT企業政策が急速に変化していることを見る。IT企業に対する規制が強まり、アリババなどのIT企業の事業環境が急激に悪化している。なぜ中国当局が規制を強化しているかについては、さまざまな解釈が考えられる。
 第7章のテーマは、中国の特殊な国家体制と、それに対する世界のリアクションだ。コロナ制御に用いた「健康コード」に見られるように、中国では「デジタル共産主義」がすでに現実のものとなりつつある。20年の春、中国に対してコロナの賠償を求める動きが全世界で広がった。中国はマスク外交で挽回を図ったが、成功しなかった。ワクチン外交も成功しているとは思えない。また、コロナウイルスの研究所流出説にも触れる。
 米中対立の行方を考えるには、長期的な経済見通しを考慮に入れる必要がある。第8章では、いくつかの長期予測を紹介する。未来の世界経済の中心は欧米から中印へ移るが、豊かさで見れば、西側諸国の水準が中国より依然として高い。
 第9章では、中国の世界戦略と、日本のとるべき方途について述べる。中国は、香港に対する締め付けを強化している。しかし、「一国二制度」を踏みにじれば、香港の金融市場が持つメリットは失われる。それは、中国経済に深刻な打撃を与えるだろう。台湾海峡での軍事的な緊張が高まっているが、中国と台湾は、経済的には密接な相互依存関係にある。中国が台湾に武力侵攻しても、得るものはないだろう。
 対中依存度が高い日本は、米中いずれかの陣営に属するという選択肢はとれない。同じ立場にある韓国、オーストラリアと連携して、米中対立を建設的なものに変えていく努力が必要だ。
 第10章では、いま中国で起きつつある基本政策の大きな変化について述べる。われわれはいま、世界史の大きな転換点を目撃しているのかもしれない。

2021年10月                                 野口 悠紀雄


いいなと思ったら応援しよう!