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「職種」も「勤務地」も「時間」も無限定であるという日本的雇用について一言
4月から市ヶ谷にある大学院に通い始めました。
人生2度目の大学院では、「キャリア」について広く深く学び、企業で働くミドル・シニアが、「自分らしさ」を仕事に生涯現役であり続け、理想のライフスタイルを実現するにはどうすればいいのか?をテーマに、探究していきたいと思っています。
初めて受講した「雇用マクロ」の講義で取り上げられた「日本的雇用」について学んだこと、考えたことをほんの少しまとめてみました。
「職種」も「勤務地」も「時間」も無限定であるという日本的雇用について一言
日本的雇用の特徴を一言で表すと「無限定総合職」です。
無限定というのは、「職種」「勤務地」「時間」の3つが限定されていないということで、会社に命じられれば、多様な職種に対応し、全国(場合によっては世界中)に転勤、時間外勤務が当然として期待されています。
この中でも特に、雇用契約の中心となるべく「職種」が限定されていないのは、世界的にも特殊だとされます。
過去に、会社からの一方的な異動に社員が意義を申し立て、裁判で争われたこともあるのですが、「雇用保障」を理由に却下されるという判例が積み重ねられ、今日に至ります。
そもそもこのような「無限定総合職」という日本的雇用が成立した経緯は、何なのか?
戦前までさかのぼると、日本ではホワイトカラーとブルーカラーとの差別がひどく、たとえば、同じ入り口を使えないだとか、昼食の際、ブルーワーカーは屋内ではなく、外で食事をとるような姿もあったのだとか。
戦後、GHQの指導で、組合が強くなり「平等」を主張。組合、政府、経営が一体となって、雇用保障に裏打ちされた「無限定総合職」が男性社員に適用されることとなり、女性もそれに賛同したのです。
その象徴が、生産性運動に関する三原則(1955年5月20日)
1.生産性の向上は、究極において雇用を増大するものであるが、過渡的な過剰人員に対して、国民経済的観点に立って能う限り配置転換その他により、失業を防止するように官民協力して適切な措置を講ずるものとする
2.生産性向上の具体的な方式については、各企業の実情に即し、労使がこれを研究し、協議するものとする
3.生産性向上の諸成果は、経営者、労働者および消費者に、国民経済の実情に応じて公正に分配されるものとする
日本生産性本部(2022)『実録 生産性論争』中央公論事業出版、777頁
こうして、社員が雇用機会を得るために、「職種」「勤務地」「時間」を無限定に会社にゆだねる仕組みができあがりました。国も、会社も、そして、社員とその家族も望んで合意したのです。
その後、雇用が保障されてきたがゆえに、この70年前に作られた日本的雇用の仕組みが未だに変わっていないのです。
しかし、今日的にはどうなのでしょう?
・国としては、人生100年時代、少子高齢化が続く中で、社会保障制度が機能不全となり、多くの人が60才を超えても長く働き続けてもらわないと財政的に立ちゆかなくなってきた
・企業としては、事業環境の激しい変化に迅速かつ柔軟に対応していくためには、安定した従業員の雇用を維持するのが難しくなってきた
・働く人にとっては、男女平等、男性の育児・家事参画をはじめとした性的役割分担の見直し、ライフワークバランスの重視、専門性へのこだわり…など、働き方や価値感が多様化してきた
つまり、前提条件であった「終身雇用」が保障されない状況下では、そもそも「無限定総合職」を社員に強いる必然性はすでになくなっており、また、長く働き続けるためには、会社にすべてをゆだねるのではなく、働く人がそれぞれの状況に応じて「職種」「勤務地」「時間」を自分で選択していくことが必要なのではないでしょうか?
老後資産の形成において、確定給付型から確定拠出型へという「自己責任」の流れと同じように、キャリア形成においても、会社に依存した「他律」ではなく、一人ひとりの働く人が、自分のキャリアは自分でつくるという「自律」的な取り組みが求められてきているのだと思います。
一方で、20代、30代の意識調査結果からは、「終身雇用」を希望する割合が高く見受けられるのです。
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出典:「第 7 回勤労生活に関する調査」(2015年調査 )(JILPT,2016)
従って、国や企業は、キャリア形成を個人の責任として突き放すのではなく、制度としてシステマティックに働く人の「自律的キャリア開発」を支援していくことが強く望まれると考えます。
<蛇足>
「雇用保障」という安心を手に入れるために、社員は、「職種」「勤務地」「時間」の選択を無限定に会社にゆだねてきた。
「老後の資産形成」についても、かつては「確定給付年金」として、会社にお任せであった。
そして、
「税金」についても、「源泉徴収」として会社にお任せ。一部、「年末調整」として関わることがあっても、「確定申告」を行う個人は限られる。
納税についても、他律から自律への流れを作ることが、「市民」としての意識を醸成し地域や国づくりへの参画意欲が高まるのではなかろうか?
改めて、私自身、国や会社へ依存し、何も考えずに生きてきたなぁと思った次第です。