#7 受け入れ難い強要
新宿から電車に乗っていた時のこと。
ドアから1番近い席の前のつり革を握っていた
新宿から2駅くらいで停車した時にドアの近くから男性の大声が聞こえた。東京は物騒だなと思っていたとき、大声をあげていた男性が乗り込んできた。
私は男性が重度のチック症だということを瞬時に理解した
みんな最初はその声や発言に驚き男性に目を向けていた。
「警察!警察〜お巡りさん!!」「殺してやる!」
男性の声が響く車内。男性は電車が動き始めると共に狭い車内で歩き回り、私の後ろにいた男性の元に行き
「殴ってやろうか」「おまえーーーー」と叫びながら
拳を振り上げたり殴るふりをしたり肘で攻撃しようとしたりしていた。私の後ろにいた男性は見えていないような振りをしていた。
キャリーを持っていて人も多い車内で移動もできなかった私は、怖くて動悸がした。目を合わせてしまったら本当に攻撃してくるかもしれない。すぐ近くにいたので分かった。こちらを凝視していたこと。怖すぎる
チック症の男性は1人で電車に乗っていた。
私が怖くなった大きな理由はそこにある。もしも何かあったら。手を出されたら。そうなっていたらトラウマは消えない。電車にもひとりで乗れなくなるかもしれない。
障害者を否定する訳では無い。
色々な物事に対して、多様性なり理解を深めようなり。
強要が多くなってきた世の中で思うことがひとつある。
そんなことを言うのであればこちら側の意見は?気持ちは?と
もし消えないトラウマを植え付けられた人がいた時に、
「チック症で汚言症だから仕方がないね理解してあげて」
と言えるのだろうか
男性は車内でいない人として扱われているように見えた
ストレスがかかり緊張状態だと、余計に症状が激しく悪化する。車内の人の判断は正解かもしれない。気にしていない風、普通の人に対する接し方。
でもあの中にいて、もし何かあった時に助けてくれる人がいたのだろうか。とも思った
障害者だからといってしてはいけないこと。は別にないと思うが、ただ、彼らが自身でするべきでは無いこと、してはいけないこと、の判断が出来ないのであれば周りにいる介護者が責任を持つべきだと思ってしまう。
重犯罪を犯しても責任能力や判断能力がないからと刑が軽くなることがあるらしい。被害者は誰がしたかなどは関係ないのに、何をされたかなのにと、思ってしまう
ただ、
彼らがもっと生きやすく、やりたいことが出来る中で彼らも周りも守られる空間があればとも思う。
手に負えませんさよなら。と手放されることだって彼らにはあるかもしれない。入りたくない施設に入れられるかもしれない。
そうなって欲しい訳では無い。それはすごく悲しいし。
理解と納得、強要と共有などの違いを分からない人が多くて腹が立つ
理解したいという気持ちと、何も出来ない自分への嫌悪と、放任している彼らの周りへの苛立ち
理解が出来ない人がいることを理解することをして、
その中でお互いにとって生きやすくなって欲しい
そしたら今より少し楽になるかもしれない。
理解と少しの我慢と妥協は生きてく上で必要不可欠だと実感する。
色んなことを考えて頭がぐちゃぐちゃになりながらすごした20分間の車内の話と私の脳内