いま、辛いあなたへ~経験談として~
私はnoteには、なるべく明るい話題を綴りたいそう想っていた。でももし、自分の経験してきた事が何かになるのなら、私は綴りたいとそう想った。もし読んでいて辛くなる人は、無理して読まなくても大丈夫。
私は昭和61年産まれの34歳、2つ下に妹がいて妹はいま京都で仕事をがんばっています。幾つになっても姉の私にとっては、可愛い妹です。
私は明るく、学校が大好きな小学生でした、4年生の途中までは。。。4年生の半ば頃から中学2年の半ばまで、私は父からの暴力を受け、明るかった自分が嘘のように失語症のような状態になりPTSDと診断されました。中学2年14歳の頃、心療内科に入院し一日中、個室の中でぬいぐるみを抱え、ベッドの上でただただラジカセから聴こえる好きな音楽を流し涙を流す、そんな日々が続きました。なので青春時代はずっと、きらきらなんてしていなかった。薬の副作用も、友達と喋れなくなった自分も、当時は悔しくて悔しくてたまらなかった。
いま思えば、母親には本当に心配ばかりかけていたと想う。愛する子供が自殺未遂したり、きらきらした青春時代を送れないなんて。
でも母親は、そんな私を決して見捨てなかった。いつだって笑って仕事をしてた。
当時は辛くて、現実の自分を受け入れられなくて、いつになったら私はふつうに戻れるんだろう?そんなことばかり考えていた気がする。なんで私ばかり、、、と。
でもね、
いまは想える。傷ついた分、その傷を癒やすには時間はかかる。時間はかかってもいいから、ゆっくりゆっくり、前を向けたならそれでいい。そんな日々はいつか、経験として自分を優しくしてくれたとそう想えるから。いま、やっと、ね☻
大人なってからも、いろいろあった。
愛する人に出逢い結婚、でも何故か愛する人からも暴力を振るわれ離婚して。故郷に帰ってきて、こんなにも涙が溜まってたの?とびっくりするくらい涙を流した。
泣いて、泣いてまた歩を進める。
その繰り返し。
また笑えれば、またそこからが0になる。
それに、辛かった経験は全部が全部、忘れたいことばかりじゃない。辛い想いをし病気になったからこそ、人の傷みに気づけるようになった。それに、そこにいなければ出逢えなかった人にも、沢山出逢えた。
出逢ってきた人達、もう今は亡くなった友達、そんな人のことをふと思い出しては、私も精一杯生きなくちゃ、そう想わせてくれる。
今になってやっと想える。
“”生きてて、ほんとに良かった“”と。
生きてるから、
母親とも笑いあえる日が来たし、
17歳になる愛犬とも楽しく過ごせてる、
そして、もう一度大好きな音楽を側に生きている、
仲間にも出逢えた。
いま暗闇の中、希望のひかりさえ見えないとしたら、
焦らなくていい。
いまはいま、と優しく自分を許して、
難しいけど現実を受け入れて、
沢山沢山涙を流して、
傷ついた心を優しく包んであげてほしい。
いつの日か、
それがいつかはいまはわからなくても、
いつかは、
長い間止まっていた時間も、ゆっくりゆっくり
針を進めるから、、、
いつかは、
長い間降り続いていた心の雨も、ゆっくりゆっくり
止んで、空いっぱいに虹を架けるから、、、
自分のペースで、
ゆっくりゆっくり、、、
生きていよう。