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爪を噛む娘と便利な「は行」

「ねえあなた。”子ども”、”爪噛み”で検索してごらんなさい」

これは私が実際に(ほぼ)見ず知らずのおばさまAに唐突に言われた言葉である。

娘を連れて町内のしめ縄づくりに参加していた時のことである。

しめ縄づくりにもすぐに飽き、持ってきたメジャーを出したり引っ込めたりの手悪さにも飽き、いつもの通り手の爪を噛み噛みしていたのだ。

娘は、小さいときから爪を切ってやることがないくらいの爪カミスト。

娘に気分をたずねたことがあるが、噛むと「なんか落ち着く~」のだそう。

「爪噛み」についてネットでは「愛情不足」や「不安」の表れなど書かれ、臨床心理学的には「強迫行為」や広義には「自傷行為」に含まれることもある。

心理的な不快感を処理する試みであるというのが、私なりの理解である。

不快感には「退屈」とか「手持無沙汰」とかそんなものも含まれていると思う。

それらを処理する方法には人それぞれあって、爪噛みがぴったりくる人は多いとも思う。

夫はまさにそのタイプ。考え事をするとき爪を噛む癖、洋服の縫い目を爪でなぞるスクラッチ癖がある。

私の方法は耳こちょ(こよりで耳掃除)癖、頭髪のハイパーうねうね毛を指先で見つける癖がある。

ほんの瞬間。

行為に没頭してる間だけぼーっとできて、ふうっと息を吹き返す感じ。

誰でも多かれ少なかれ、それぞれに(あまり人には言わないかもしれないけど)やってると思うし、それらを完全に禁止するのも難しいと思う。

愛情不足なんじゃない?

ネット検索を勧めたおばさまAの瞳に、そんなフレーズがちらりと見えた気がした。

今日会ったばかりの、おばさまAに私と娘の何が分かるんだろう?

「はぁ」と曖昧に空気がもれただけだった。

うなずくでもなく、否定するでもなく。

・・・

人が生きている限り避けられないもの、呪い。

「呪い」とは、曖昧なもの予測不可能なものになんとしてでも説明をつけたがる人間が編み出した便利な技である。(例によって、大学時代の文化人類学の先生の話による説明。しかもおぼろげな記憶)

あぁ、これも呪いだ。

私が今後、娘との関係の中で、何かの壁にぶつかるたびに、結び付けようと思えばいくらでも、あらゆる事象と結びつけることのできる呪い。

おばさまAはきっと、娘のことを心配して言ってくれているのだろうが、検索しろ、という言葉のどこに優しさを見出せばいいのか分からず、クラクラした。

誰かに、私と娘との「正しい」愛情を、「正しい」親子関係を計測できるのだろうか?

もしもできるとしたら、それは娘以外にはいないのではないか。

爪を噛んでいようがいまいが、耳こちょしてようがいまいが、娘は娘で私は私。

すかさず、隣にいたおばさまBが「うちの子もしばらく爪噛んでたわ~」と声をかけてくれた。

「大人になったら自分で考えて噛んだり噛まなかったり出来るようになるから、大丈夫よ」とまで。

そこで、酸欠状態の私の頭に酸素が戻ってきた。

「そうなんですか。へへへ」

こんな時、曖昧な「は行」は非常に便利である。

呪いをかけるなら、良い呪いを。

返事に窮したら便利な「は行」を。

これがしめ縄づくりの会で私の得た教訓である。

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