遠泳から島に上がる
気がつけばしばらく「休み」がない。
つい先日、3連休が終わったばかりだが、主婦にとっての「3連休」とは、主婦にとっての「休日」にカウントされる場合ばかりではないことを強調したい。
子どもや夫の朝昼晩の食事のこと、子どもたちの騒々しいケンカのこと、「休みだしまあいいやん」的に遅くなりがちな入眠時間のこと、当然翌日の壮大な朝寝坊が体内時計を派手に狂わせ休み明けの登校しぶりにつながる可能性のことなど、次々と休まる暇を与えない「こと」のアイテムで私のおちょこ並みのキャパシティーは賑わってしまうのである。
まぁ、そういう騒々しさを愛しているといえば、やはり紛れもなく愛しているのではあるが。
その一方で、私にとっての「休み」とは、ぽっかり一人になれる時間のこと。
(世間一般的には”3連休があったのにもかかわらず”となるのだろうが)やるべきことがそれはもう、山のようにうず高く背後に積まれている。
こんな夜更けに白目で眺める文字でぎゅうぎゅうの手帳。
明日の仕事の確認、来週の仕事の準備、来週参加する研修の用意、仕事上早急に連絡をしなくてはいけない人が2人、来月参列する結婚式のお宿の準備、娘と過ごす夏休みの計画(学校からもらって帰る楽しいイベントのチラシの山)・・・すべてギリギリにならないと動かない「ギリギリガールズ所属(自称)」の自分のせいなんですけどね。
まったく。これじゃまるで息継ぎなしの遠泳をしているみたいだ。
「ゆとり」を絵に描いて逆さまにしたら私になる、といった具合に。
いや、素直に私を絵に描いたら「ゆとりがない」とタイトルが自動変換されるかのように。
当然、波に逆らいながら進むクロールは力なく頼りない。
なんだか心がカサカサしている。いよいよ胃も痛んできた。胃痛が出始めたら体からの「休め」のサインである。
さらにこのまま泳ぎ進めれば微熱が出始め、肩が上がらなくなるのが私の体のシンプルな仕組みである。
ふう。ぎゅうぎゅうの予定表に息ができない。
私が欲しているのは、まったく堕落しきっていて、ズボラな私だけの時間。
妻でもお母さんでも職場のゆきのしたさんでもない、私に帰る時間。
読みたかった本をめくる時間。
思うままに落書きする時間。
そう、ゆっくり弧を描いて泳ぎ戻り、島に上がること。
それが私に課せられた急務である。
すべきことに手つかずで、ただただ島に上がりたいと、そう思っていたら、知ってか知らずか、昨晩は夫が子どもたちを連れてスーパー銭湯に出かけてくれた。
突然舞い込んだ、島へのいざない。
ようやく息継ぎができた私。ほんの1時間とちょっとの島タイム。
感謝を込めて、呼吸に集中。
夫よ、愛しています。島からの中継でお届けしました。
(夫に愛をつぶやけるぐらい私にも余白ができた模様です)