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限りなく濃密な時を過ごせるニューヨークへの旅


ニューヨークでの夜。
クタクタに疲れながら宿泊するゲストハウスに戻ってカメラからメモリーカードを抜き、その日撮れた写真をPCで確認しながらすするカップヌードルが最高に美味しい。

ニューヨークにはお金を貯めてヘリでの空撮など、年に1回程度ただ写真だけを撮りに渡航している。数ある大都市の中でも圧倒的に凄まじい引力を持つこの街が好きになったのは、幼少期に観た映画に起因する。

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ニューヨークに憧れる原体験

幼稚園年長時、父に連れられて初めて映画館で観た映画は「BATMAN」
(カタカナで書くと、より稚拙に見えるからあえてローマ字で)

恐らく知らない人はほとんどいないと思うほど世界的なヒーローである。
今では"奇才"と呼ばれるティム・バートンが 当時31歳という若さで監督を務めた作品でもある。もちろんだいぶ後になって知ったけど。

映画は字幕だったこともあり、6歳にはまぁ読めない漢字だらけで・・。
それでもジョーカーを倒す正義のヒーローの格好の良さは十二分に伝わってくるのだけど、それを凌駕するくらいに惹かれたのが、映画の舞台背景である架空の犯罪都市「ゴッサム・シティ」の街並みだった。

端的に言ってしまえば超絶な摩天楼なのだけれど、劇中のダークで陰鬱でバートン作品特有のゴシックがかった描写に魅せられて、なぜだかそれが強く脳裏に焼き付いてしまう。(都市のスカイラインが好きになったものこの映画のせい)

小学生にもなると、アメリカ横断ウルトラクイズ や なるほど! ザ・ワールドなどで見たニューヨークの映像がゴッサム・シティとリンクするようになり、次第にニューヨークに興味を抱く。当時Windows95にインストールしたシムシティ2000なんかでマンハッタン島を模した街をつくってみたり。

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実際、ニューヨークにはゴッサム(Gotham)という異名がある。
そんな初めて見た映画の世界が原体験となり、未だに街を撮影することから抜け出せずにいる。


転機となった初めてのNY

淡々と過ぎてゆく社会人生活の中で、
「老後になったらニューヨークに行こう」
(絶対に行かない、いつかいつかってやつ)と、漠然と思っていたけれど、30の時に転機はやってくる。

将来に悩んでいた時、知り合って間もない知人と飲食ビジネスを起こそうと脱サラしたものの・・結果、失敗してその先の人生が見えなくなってしまい、五里霧中に。しばらく人に会うのも、ベッドから出ることすらしんどかった時期がある。

そんな中、飲みに誘ってくれた前職の先輩方の「気晴らしに海外でも行って来たら?」という一言で初めて頭の中に「海外」という文字が浮かんだ。

それまで海外なんてものとは全く無縁の人生だったわけで、もちろんパスポートも所持したことはなく、チップって何?状態だったけど、その時のモヤモヤからとりあえず何かしらアクションを起こそうと心境が変化していった。
どうせ行くならやっぱりニューヨーク、無さすぎる胆力を鍛えることを目的にした一人旅。不安に駆られる前に飛行機とホテルだけ抑えてしまえば、もう行くしかない状況に。

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そうして30にして初めて日本の外へ。今思えばあの時動いて良かったと心底思う。
行く前は不安しかなかったけど、初めての海外で体験したこと、視界に入ってくる全てが新鮮で刺激的で本当に最高で...何が起きてもおかしくないような雑多な雰囲気と絶えず聞こえてくるクラクションや街全体から滲み出てる丁度良いくらいのいい加減さ。
現地の人は皆オープンだからこちらも心を開きたくなるし、道端で写真を撮っていると頻繁に陽気な黒人さんが話かけてくれたり。

20代が終わる頃まで、どこか怠惰で明確な意思も無く、それでいて人に嫌われることを恐れて周囲に合わせて漫然と日々を過ごしてきた自分にとってニューヨークで見た人々はすごく""を大事にしているように映った。

その旅で感じたことをきっかけに、気付けば完全に手放していた人生の舵を少しずつ手中に取り戻せたのも、意外と行動力のある自分に気付けたのも、これからは人目を気にすることなく、きちんと自分の人生を歩もうと決心できたのもこの旅がもたらしてくれたもの。

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そして、なんと言っても現実世界のゴッサム・シティに立って
「これぞ自分が求めていた街...」
などというイタさも相まってそこから通い始めることになろうとはその時はまだ知る由もなかった。


自分にとっての"幸せ"の定義

人生の最終的な価値は 長さ×深さ、で決まると信じてる。
時計の針が1秒を刻むごとに確実に残りの命が減っているのは言うまでもない。時間は命と同等。いつ終わってもおかしくない。

これからはできる限り密度の濃い時間を過ごしたい、と思うようになって自分の中の幸せの定義を決めたことがある。何をしている時に幸福を感じるのか。

間違いなく最も幸せな瞬間は瞬きや息をするのももったいない程に目の前の光景に感動してシャッターを切っている時。これだけは揺るがない。
だから、大好きなニューヨークで写真を撮っている時は、時間という"命"を全力で全うできている実感があるし、物凄く濃密で深い時間を過ごせてる。帰路のJFK空港で感じる疲労はそこはかとない充足に満ちた何よりの証。

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ずっと長い間、後悔が残る生き方しかしてこなかった自分にとって、それなりの対価を払ってわざわざこんな遠い場所まで来て写真を撮る、という馬鹿げた行為の積み重ねは必ず人生に大きな充足をもたらしてくれると信じてる。単に使わないでとっておくのか、20数万円で得られる経験値を今取るのか。

今からでも一度きりの人生を完全燃焼で終わらせるためには、残された時間の密度をひたすら濃くしていくしかない。


ただ写真だけを

誰とも連絡を取らずに睡眠以外の時間は全て写真に捧げられるから一人旅は最高だ。長時間、一人でいると自分とも向き合える。それに友人・知人のいないアウェイの環境に身を置くことはメンタルを鍛えるには最適だと思う。

毎回食事は全て日本から持参。特にヘリに乗るとお金がかかるし、現地の物価は安くないからせめて食事は節約...
普段はあまり食べない、どん兵衛やらペヤングやらハッピーターンを夜のマンハッタンで食べるという贅沢...観光都市を満喫する方法は目的のためなら各々違っていていいと思う。笑

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まだ人通りのない夜明け前にカメラを持って街に出て、昼過ぎにゲストハウスに戻って休憩して、また夕方が近づいたら街へ。個人的にはこの基本サイクルがニューヨークを最も満喫できる方法。

最後に、撮影したニューヨークの"街の息遣い"をご覧ください。


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