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話すは放すでもある

 話すと離す、それから放すは似ているなと思った。話すはこころの中にある感情や考えを放すでもあるし、離すでもあると思った。

 放すという言葉から私が連想したのは放し飼いとか、放牧。それから解放だったり釈放。つまり解き放ってあげること。

 離すってなんだろう。別離。離婚。離陸。離反。解き放つと離れるだと全然違う意味の言葉のように思う。

 それで調べてみた。

「離れる」を使った場合には,「元のものとの距離が広がる」ということに重点が置かれ,「放れる」を使った場合には,「分かれて動いた結果,元の束縛から解放される」という意味に重点が置かれることがわかる。したがって,「離れる」「放れる」の使い分けを具体例によって示せば,次のようになる。

教育出版 言葉の使い方より

 つまり離すは距離が広がることをさすみたいだ。  離婚とか離陸はそんな感じだろう。ってもう皆さんならご存知でしたよね。お恥ずかしい。

 結果、話すと放すは似ているなと思う。離すも似ているのかもしれないけれど、それは上手く説明できない。

 話すは思考を解き放つわけだから、口から出た言葉は放たれたわけで、もう帰ってはこないのかもしれないし、放牧された羊の群れのように管理されて戻る場所もあるかもしれない。

 言葉で思考や感情を放つことはすなわち魂の解放でもあるのかもしれない。私が書く理由はそこにある。解き放つ。そのためにもっと上手く書けるようになりたい。いまは修行のときだと、自分にいいきかせながら書き続けたいと思う。