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どこかの知らない誰かにも人生がある

 今日はすこし物騒というか、事故の話を書きますので、とはいってもグロテスクな表現は書きませんが、共感性が強い方は読まないほうがいいかもいれません。

 先日ウチのマンションの敷地内にある小さな公園の草刈りをしているのを見かけたんですが、チェーンソー?みたいな大きな音を立てながら草を刈っている作業員の横にシートでチェーンソーを隠している助手がいたので、まるで凄惨な事故現場をお巡りさんたちがブルーシートで隠している、例の場面を連想してしまいました。

 そのとき初めて知ったのですが、チェーンソーのせいで石が跳ね飛ばされて周りの人に当たったりクルマに当たったりするのをシートで防いでるんですね。初めて知りました。

 シートで隠すと言うとどうしても凄惨な事故現場の処理中の映像を思い浮かべてしまうと書きましたが、そんな私も一度だけ鉄道事故の現場に出くわしたことがあります。あ、でも一番衝撃的な場面は見ないようにしました。

 いつもの通勤路にある踏切が閉じて警報がなっていたので踏切が閉まってる。あー、タイミングが悪かったなと思ったのですが、あれ、なんか様子が違う。違和感がある。よく見たら踏切を塞ぐ形で電車が止まっている。踏切を通過していくはずの電車がそこに停車している。

 その踏切の周囲で人身事故があったんです。状況は知りませんが、パトカーや救急車が赤いランプを点滅させながら停まっていて、お巡りさんや救急隊員の人達が10人以上?集まってました。鉄道の人身事故ってそんだけたくさんの人が動員されるんですね、って驚きました。

 オフィス街の近くでもあるしすぐ近くに繁華街もあるから人が大勢いたんですがそういう時ってざわざわしないんですね。静かでした。少し離れた場所で救出作業をされてる人たちの大声が聞こえるほどに。

 次の日に通勤でその踏切を通ったんですが隅に缶ビールと花がちょこんと供えられていて、それを見たときに昨日の事故で誰かがこの場所で亡くなったことと、その方のためにここにお供え物をされた方がいるんだと、人それぞれに人生があるんだと、それがもの凄く胸に響きました。

 どこかの知らない誰かにだって、私が知らないだけでその人はその人の人生を紡ぎながら生きていたんだろう。そして、その人が自ら閉じてしまった人生に、缶ビールと花を手向ける人がいる。その人たちのそれぞれの人生は何処でどのようにして交錯していたのだろうか。

 だから鉄道の人身事故があると必ずSNSやヤフコメで、迷惑かけるなよそで〇ねとか罵詈雑言を浴びせる人達が多いですけど、その事故のせいで業務に支障が出ただとか大変困ったことになったとかいう人達の気持ちは分からなくはない。ですが、あの現場に備えられていた花束と缶ビールを思い出して、たとえどこかの知らない赤の他人の事故だとしても、亡くなった方を罵る気にはなれない。

 そういえば昔はよく放送されていた警察24時間密着みたいな番組。私は人情お巡りさんみたいなのが好きでよく見ていたのですが、背景が全部強めにぼかされていて警察官しか映っていないようなこともあって、なんじゃこりゃと思いながら観ていた記憶があります。全部写さんかいとかツッコミながら。

 今思えばあの映像猫ミームですよね。声も変な声に変えてるし。警察24時間が猫ミームの始まり。起原。あの番組も昔は犯人の顔にモザイクがかけてあるだけで現場の様子とが血を流している被害者が映されていたそうですね、そっちの方が説得力がありますよね、猫ミーム24時間よりも。