正岡子規に思う
昨日書いた「SNSでは数こそが正義だ」という記事は、現状は残念ながらそうだよね、私のような弱小アカウントは何かと肩身が狭いことがあるわというつもりで書いた記事なので、決してどやっ、数こそが正義や!みたいなつもりで書いたわけじゃないということを、急に不安になったので一応ここに書いておく。とは言ってみたが私のフォロワーの皆様で誤解された方はいらっしゃらないことは重々承知の上である。
ここからが一番書きたいことになるのだが、いまNHK総合で毎週日曜日の夜に司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」を再放送していて、このドラマがいたく気に入ってしまい毎週夢中になってみている。興味がない方は申し訳ありませんが、この記事はこれから先ずっとこのドラマの話題に終始します。
有名な作品なのでご存知のかたも多いかもしれないが、大雑把にあらすじを説明すると、明治維新後に松山に生まれた3人の男性が、それぞれの分野で力を発揮しながら激動の明治時代を生き抜いていくという物語である。一人は正岡子規。そしてあとのふたりは秋山好古と真之という兄弟で、それぞれが陸軍と海軍の軍人になり、日露戦争の日本の勝利の立役者になる。そんな3人の生き様を描いた人間ドラマである。
なかでも一番の中心人物として描かれているのは秋山真之のように見える。ただ、子規と好古の出番が少ないというわけではなく、あくまでもこの3人を中心に描かれる群像劇である。
私は見始めた当初は秋山真之を演じる本木雅弘さんのカッコよさにしびれた。故郷松山でやんちゃばかりしていた頃から、なんともみすぼらしいなりで東京の大学に通う姿もどことなく愛嬌があってよかった。そして極めつけは海軍に入って海軍の詰襟の制服を着て見違えるほどに痺れるカッコよさに変身してからである。制帽を被り詰襟をビシッと着こなし直立不動で敬礼する本木雅弘さんのカッコよさといったら、たまらんカッコよさである。とここまで書いて一応念の為に申し上げますが、私は軍国主義者ではありませんし、戦争を賛美したりは絶対にしません。
そんな私はいまは香川照之さん演じる正岡子規に感情移入しながらみている。子規は元来が病弱で体力もない。俳句や短歌の道に進み、それを極めたいと言った子規と軍人になった真之や好古とは進む道が分かれるのだが、幼馴染として、また親友としての交友は続く。そんな真之が日清戦争で出兵する。その頃すでに病に冒されていた子規は戦場で活躍する英雄談を地で行くかのような真之と好古が羨ましくてたまらない。それだけではなく、体が弱い故に新聞社で働き、これといった名を残すような仕事も出来ず、国のために役立っている気にもなれない。好古と真之に対する羨望と自らへの劣等感。親友に置いてかれている悔しさ、歯痒さ。
ああ、子規は私だと思った。同級生や同じ世代の女性でも社会に出てバリバリ働いているひともいる。母親になって立派に子育てをしているひともいる。そういう女性をみるときに感じる羨望や劣等感。自分は精神障がい者になって、社会のためになるようなことは何一つできていない。少しでも心や身体に負担が掛かれば寝込んでしまうようなやわな身体。そんな自己嫌悪。
そんなふうに考える必要はないのだろう。そう言ってくださるかたもたくさんいる。でも、やはり拭いきれない気持ちがあって、これは多分一生かけて向き合う感情なのかもしれない。
やがて病床につき、懸命にまさに命懸けで短歌や俳句を詠んだ子規。私も子規のようにありたい。