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自分にしか出せない色は苦しさの中にある

 重い話というか、つまらない話を書く。

 私は来年の1月で28歳になる。平成9年生まれ。丁丑(ひのと・うし)
 
 27や28歳になると、自分の周りがどんどん変化していくのを感じる。
友人の一人は母親になり、違う友人は来年の3月に結婚する。もう一人の友人は30代のうちに起業したいと言って仕事に打ち込んでいる。フリーターのような生活をしている友人もいるが、彼女は彼女なりの夢というか人生の目標があるので20代を無駄に過ごしているわけではない。

 障がい者になる前の私は今の年齢になったときにどんな自分でいたかったのか。少なくとも精神障がい者で週3アルバイトのアラサー女になるつもりでは無かった。

 バリキャリみたいな上昇志向が強い人間では無かったから社会的な成功や金銭的な成功を夢見ていたわけではないけれど、それでもやはり心の中ではどこかに、人間は社会人としてどんな職についているかということが最大の評価基準になると思っていたし、障がい者になってからは余計にそれを感じるので、どうしてもなりたかった自分と現実の自分の間に乖離が起きる。

 これは生まれつきではない障がい者全員が恐らくそうなのだけれど、こういった夢や希望を失った時の喪失感や絶望感、やけになったり悲しみに沈んだりといった心の苦しさをどういう段階を経て乗り越えていくかという評価ツールがある。それでいうといま私は障がい者になったことの絶望や苦しさは乗り越えて自分が障がい者であることを受容して、そこから前に一歩踏み出そうとしているけれど、まだ迷いを捨てきれていない段階ということになる。

 さっき私はバリキャリになりたかった訳ではないと書いたけれど、そうは言っても平均以上の暮らしがしたいと思っていた。それなりの企業に入ってそれなりにやりがいのある仕事を任されて、周囲の人達から見られた時にアイツはいいなと思われる程度の人間にはなっていたかった。

 実際にそれなりの有名企業に入社して、さあこれからという時に障がい者になり退職した。だからそれすらも叶わなくなってしまったという何か空白が心の中にある。そしてきっとその負の感情がいまの私の色なんだろうと思う。創作していてもそういった歪さや薄暗い色が書き上げた文章に混じっていると自分では分かる。

 同世代で活躍している同性が羨ましいし、正直妬ましい。私は関西在住なので時々大阪の梅田(関西の人以外はご存じないかも知れないけれど、大阪駅というターミナル駅があって周囲に高級ホテルや高級百貨店が集まっているような一等地)に出かけたりしたときに颯爽とした女性会社員を見ると羨ましいなと思う。そしてこの悩ましい負の感情を忘れることが出来るのはまだ先になりそうだなと思う。

 一年前からnoteを始めて、これでも随分と変わることが出来た。心の中に澱んでいた負の感情めいたものは消えることはなくても、書くことでだいぶ整理されたのだと思う。いま下書き再生工場だけではなく、いろいろ書いているのも自分を保つのにとても役に立っていると思う。書くことが好きですか?と問われたら書くことが好きですと答えるし、書き続けてくださいと言われれば書き続けますと言える。

 「なにか大切にしていたものを喪失したという負の感情がいまの私の色なんだろうと思う。創作していてもそういった歪さや薄暗い色が書き上げた文章に混じっていると自分では分かる。」そう書いたけれど、これが自分にしか出せない色にしたい。美しいものを書いてもコミカルなモノを書いてもどこかに滲みだす歪で濁ったもの。不穏なもの。出すのではなくて滲み出る。

 いまはまだ無理。準備が出来ていない。心と向き合える強さがない。本当に抱えている苦しさや喪失感の理由はいまはここには書けない。障がい者になったことや社会でのそれなりのポジションよりも失うことが辛かったもの。いつかそれと向き合って書けるようになりたい。そんなことを考えた週アタマ月曜日の午後。さあ夕飯の支度をしよう。