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私がnoteに書く理由

 「あなたのゴールはなんですか」という言葉をみた。それは書き手としてのゴールだと私は捉えた。その言葉をみたのは本田すのうさんの記事だった。

 ズシリと響いた。私が書き手と自称することが許されるのならば、私は何のために書いているのか。駄文とも言われかねないような文章をせっせとnoteに書き続けている理由はなんなのか。

 それは書くことが好きだからである。私はnoteをやめようと思ったことは度々あるが書くことをやめようと本気で悩んだことは一度もない。

 でもそれはゴールではない。過程である。書き続けよう、上手く書けるようになりたいと思う理由は別にある。

 私にはどうしても書きたいことがある。でもそれはいまの私には書く力がない。でもそれを書きたい。どうしても書きたいというか、書かなければならない。

 それは誰かに読んでもらいたいものではない。自分のために書く。多分書き上げたら公開するだろう。でもそれは読んでもらえた方々から何かしらの好意的な反応を望んで公開するわけではない。

 私がどうしても書きたいことは、極めて個人的な経験。心の奥底に押し込んで蓋をしているもの。でも私が歪な人間ではなく、歪さのせいで苦しんでいるならその蓋をあけて、中に押し込んだ腐食して黒ずんだ感情を拾い上げなければならない。

 私がまっすぐ歩けない理由。私を苦しめるもの。

 書いてもその痛みを消すことは出来ない。でもそれが何か分かれば名前をつけて整理することができる。やわらげることができる。それは書くことで。

 いまの私には心の奥底に押し込んだ入れ物の蓋を開ける勇気がないし、取り出して向きあう勇気もない。人間的にもあまりにも未熟だ。

 それをきちんと書くこともできない。観察する力も、言葉に置き換える力も、読むに耐える物語に紡ぐ力もない。無い無い尽くしである。

 いまは書く力をつけるために書いている。そのためにたくさん書いている。書けば書くほど上手くなる。多分間違いではない。

 私のゴールはその痛みの、歪の理由を書くこと。そしてそのことを通じてきっと何かを得ることが出来るはず。でもこれは最終的なゴールではない。あくまでも序章。

 そのために私はnoteにいる。それだけは忘れたら駄目だと、いろんなことに惑わされるなと自分にいいきかせながら歩き続ける。