SNSでは数が正義
SNSでは数が正義だ。スキの数、フォロワー数、ビュワー数、などなど諸々の数。こういった数が多い人ほど、SNS上では価値が高い人間だ。そして作品の価値も高いとみなされる。これだけは間違いない。作品の価値やクリエイターの価値とそういった諸々の数字は関係ないという声もよく聞く。でもそれは違う。SNS上では数が正義だ。この数週間で私の身の周りに起きた出来事でそのことを痛感した。
私のように作品につくスキの数もせいぜい20あれば良いほうで、フォロワー数も100人もいない、コングラボードなんてもらったことが無い、こういう人間はSNS上においての価値は低い。低いという言い方には語弊があるかも知れないが、少なくとも影響力において諸々の数が多いクリエイターには敵わない。なにかトラブルめいたことが起きたとして、そのときにどれだけ私が言うことが真実であっても数の多い人が言うことが真実になる。嘘じゃない。これは事実。
つい先日、あるSNSで随分親しい人と意思の疎通に齟齬があったのか、私の忠告が「いちゃもん」と捉えられたらしい。その人は私から「いちゃもん」があったから投稿のスタイルを変えるという投稿をした。その結果、私が目にしたのはそのひとに寄せられた激励と私をクレーマー扱いして非難するコメントの数々。その投稿についたいいねの数は400。400の私に対する暗黙の非難。コメント欄の心無い言葉の数々。なにも事情を知らないくせに。
そしてその400のいいねに有難う皆さんと感謝の意を込めた投稿に載せられた画像には私を批判する投稿のスクショ。それを見た私がどういう気持ちになるのか分からないのかな、と思った。
その人が困っているときに差しだした行為も、何もかもがタダのお節介だったのだろう。私のことなんてどうでもいい大勢の取り巻きのうちの一人にすぎなかったんだろう。SNSでの人付き合いを改めて感じた出来事だったし、私はSNSには向いていないということもよく分かった。これからどうするか。しばらく休むといったから、その間に考える。
SNSでは数が正義だ。スキの数、フォロワー数、ビュワー数、などなど。こういった数が多い人ほど、SNS上では価値が高い人間だ。そして作品の価値も高いとみなされる。これだけは間違いない。作品の価値やクリエイターの価値とそういった諸々の数字は関係ないという声もよく聞く。でもそれは違う。SNS上では数が正義だ。そのクリエイターに価値があると思うからこそ、スキの数が増えフォロワーが増えるのだ。その人たちにとってはそのクリエイターと作品の価値は高いわけだ。
結局SNSは数こそが正義。こんな世界においては私は無価値に等しい。