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石破総理が一生超えられない父の壁とは?石破二郎とは何者か?


102代内閣総理大臣・石破茂

石破茂総理が誕生した今、父・石破二朗の存在が再び注目されている。二朗氏は鳥取県知事や参院議員、自治大臣を歴任し、鳥取県政に大きな影響を与えた政治家であった。息子・茂氏が「総理」という高みへたどり着いたことに、二人の父の影響があったとは考えられる。今回は二人の父を振り返る。

父・石破二朗の政治キャリアとその功績

石破二朗は、鳥取県知事として4期15年にわたり県政を担い、その後、自治大臣にも就任した。なお自治大臣として入閣した当時の内閣は鈴木善幸内閣であり、今の鈴木総務会長は鈴木善幸元総理のご子息である。鳥取県の発展に多大な貢献を果たし、地元住民からは厚い信頼を得ていた。その功績を讃え、父の死後は鳥取市内にある彼の銅像は、現在もその功績を讃え続けており、彼がどれだけ地域社会に深く根付いていたかを象徴している。

交差点に設置された銅像は、二朗氏が鳥取の未来を見据えているように配置されており、彫像後部には彼の略歴や当時の県知事からのコメントが刻まれている。

二朗氏の政治家としての姿勢は清廉潔白で、農林業者を深く愛し、儒教精神を重んじた人物だったことがよく知られている。

信仰と県政への思いは今の石破総理にとってのルーツですね。

清貧と努力の人、石破二朗の人柄

石破二朗は「清貧と努力の人」として知られていた。農本思想を重んじ、儒教精神を体現した彼は、東京での生活中も毎週末鳥取に戻り、病弱な妻を見舞い、故郷の神社や父祖の墓参りを欠かさなかったといいます。この義理堅さと地域への深い愛情が、政治家としての礎となった。

「生まれ育って死んでいく、小さくても我が県は鳥取だから」そういった思いを実際に体現した知事は石破二朗氏なのです。

石破二朗と田中角栄の深い絆

石破二朗の政治キャリアに大きな影響を与えたのが、10個下の後輩である田中角栄との友情だ。田中氏とは年齢差こそあったものの、共に日本の地方政治を支える盟友としての関係を築いていた。

しかし石破総理の本を読んで思ったことは、本人も著筆のように盟友でなく敬愛だったかもしれない。10個下の後輩に心の底から敬愛するなんて・・・と私や私より下の世代の方は思うかもしれませんが、田中角栄という歴史に残る将軍はまさにそうしたカリスマ性を持つ人物だったのでしょう。

特に、二朗氏の葬儀に際して田中角栄が弔辞を読み、石破家に対する深い敬意を示したエピソードは感動的だ。田中氏は、石破家の家族のように葬儀の段取りを進め、「石破君、きみとの約束を果たしているぞ」と涙ながらに語ったと言われている。このような強い絆が、石破茂の政治家としての出発点となった。

角栄先生に葬儀委員長をやってもらったのちに石破氏は目白の邸宅に訪れます。
ここで人生の転機が訪れるのです。

破ってしまった遺言

茂にとっての「超えられない壁」と「破ってしまった遺言」

父・二朗氏の存在は、茂氏にとって常に「超えられない壁」であった。二朗氏は地元鳥取で強い基盤を持ち、農林業者からも愛された偉大な政治家であった。息子の茂は、銀行員としてキャリアを積んでいたが、父の死を契機に田中角栄からの助言を受けて政治家の道を選んだ。

例え石破氏本人が自民党で防衛大臣や幹事長をやったとしても、父を超えることはない。一種のファザコンとまで一部の記者に揶揄されるほど、石破茂氏は真髄しているのです。

なお石破茂総理が破った父からの遺言は以下の通りです。

【父からの遺言】
①勲章はいらない
→送られてしまった
②俺の銅像なんか作るな!
→作られてしまった
③茂は政治家になるな
→田中角栄先生ルートから国会議員に。現在は総理に

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田中角栄は茂氏に対して、「お前の父親は大臣まで務めた。その後を継がなければならない」と強く説得したという。茂氏は、父や田中氏という偉大な人物たちに囲まれ、その影響を強く受けつつも、自らの政治キャリアを築いてきた。彼が総理の座に就いた今でも、その背後に父・二朗氏の存在が感じられる。

田中角栄との「田中派葬」エピソード

石破二朗の死後、田中角栄が主導した「田中派葬」は、政治家としての茂氏に大きな影響を与えた出来事の一つである。この葬儀は、普通の党葬ではなく、田中派の全議員が発起人となったものであり、その派閥としての強さを象徴するものであった。田中角栄は葬儀の委員長を務め、涙ながらに弔辞を読んだ。この出来事は、茂氏が後に政治家として歩むべき道を示した重要な瞬間であった。

息子・茂が受け継ぐ父の精神

石破茂が総理の座に就いたことは、父・二朗氏にとっても喜ばしい出来事であったに違いない。父が築き上げた地元鳥取への貢献や、田中角栄との強い絆は、茂氏の政治家としての原点となり続けている。息子である茂氏が、どのように父の精神を受け継ぎ、どのように新たな時代を切り開いていくのか、今後の展開に注目が集まる。

まとめ

石破二朗は、その生涯を通じて地元鳥取に多大な影響を与えた偉大な政治家であった。彼の存在は息子・茂氏にとって、常に「超えられない壁」であり続けたが、茂氏はその壁を乗り越え、ついに総理の座に上り詰めた。父の精神を受け継ぎながら、茂氏は新たな時代のリーダーとして、どのような政治を展開していくのか。その歩みに期待が寄せられている。

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