中国の官房長官、習近平を支える最年少ブレーンとは?
現在の共産党最高指導部で最年少
現在の習近平政権で
最年少の最高指導部メンバーは
丁 薛祥氏です。
李強首相の3歳下であり、現在は筆頭副首相で
李強首相を支えています。
今回は中国の最高指導部までキャリアを進めた彼について
迫ってまいります。
共産党入党まで
丁氏は1962年9月13日に江蘇省で生まれました。
そして16歳に東北重機械学院の機械製造学科に入学し、
習近平主席と同じくテクノクラートの道を進めてまいります。
テクノクラート・・・理系職官僚
日本ですと公明党の石井幹事長や斉藤国土交通大臣、
自民党の渡海政調会長、立憲民主党の逢坂代表代行が
理系出身の政治家ですね。
その後、入学から6年過ぎた
1982年に卒業し、機械工業省上海材料研究所に配属され、
研究員及び共産党でのキャリアを歩み始めます。
共産党での本格的なキャリア-習近平主席
1999年、37歳の丁雪祥氏は科学研究の第一線を去り、
上海の科学技術委員会副主任から歩み始めます。
その後、日本でいう町長や区長のキャリアを進め、
2004年に中国共産党上海市委員会組織部副主任と
再び上海に戻ります。
2006年11月、「陳良宇事件」で解任された孫如意の後任として、
中国共産党上海市委員会副書記長(上海幹部)
および市党委員会総弁公室主任に抜擢されました。
なお当時の党書記代理兼市長、いわゆる丁氏の上司は
現在の国家副主席であり、丁氏の前任の筆頭副首相である
韓正氏であったことは、少し調べてみて驚きの情報でした。
ついに丁氏の運命を変える出来事が起きます。
2007年5月、中国共産党上海市委員会常務委員兼書記長に任命され、
その時の書記は習近平国家主席であり、丁氏と習近平主席の関係は
ここから本格化していきます。
2012年5月、習近平政権が誕生する間際、中国共産党上海市委員会政法委員会書記に選ばれ、そこから約半年後、丁氏は第18期中国共産党の補欠委員に選ばれます。
しかし丁氏は中央には戻らず、上海に残り続けます。
よく中国ウォッチャーの方が本で述べられている習近平が
丁氏を気に入った部分は出世よりも上海に残り続けたことも
あるかもしれませんね。
2013年5月、丁氏は中央に異動し、中国共産党中央委員会総弁公室副主任および
中国共産党中央委員会総書記室室長を歴任し、
習近平主席を支えました。
当時、胡錦濤派と江沢民派の権力闘争の末に
習近平主席が誕生したため、
権力基盤は今に比べかなり
固められていなかったと思われます。
その後、2015年には出世し
9月には習近平の訪米に同行するなど
信頼が厚いと感じられます。
さらに2017年、政治局委員入りを果たし、
習近平派で政治局員の栗戦書氏がチャイナセブン入りで
全人代常務委員長に就任するため、その後任として
党中央弁公室主任に選ばれます。
中国共産党の官房長官といわれるのが党中央弁公室主任
ですね。これまで以上に習近平主席の外交を含め同行する
ポジションに就任しました。
最高指導部入りへ
丁氏は2022年、ついに最高指導部入りを
果たしました。
これまでの李克強首相や汪洋政治協商会議主席、
さらに定年を迎えた二人を含めた4名が離れることで、
空席に入ることができたともいえます。
事前の予想と反して、最高指導部入りした丁氏は
副首相や国務委員よりも幅広い国務院の実務を扱う
筆頭副首相に就任したことで、これまで地方トップを経験していない
丁氏にとっては初の表舞台で実務を担うこととなります。
一方で習近平氏にとって問題だったのは?
丁氏は最高指導部入りし、国務院のポストに就任しましたが、
問題なのは党中央弁公長主任の後任が数ヶ月空白だったことです。
そのため習近平主席の元部下で北京トップの蔡竒氏が最高指導部の1人であり、幹事長兼官房長官クラスの役職の兼務が実情です。
今まで政治局クラスの方が勤めていたポジションを
最高指導部の1人が担うことになり、
ポジションは格上げされました。
それほど習近平主席にとって丁氏が勤めていた
職は政権の要でもあったといえます。