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strongfeeling
戦後80年談話は反省や謝罪より結果の悲惨さを優先すべし
戦後80年の節目に際して日本が戦後80年談話を発表するか気になるところ。
日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。
ただ安倍談話にもあるように、戦後生まれの人が八割以上を占める中で、謝罪の宿命を負わせてはならない。
こう書かれた文言があるゆえ、私は戦後80年の談話は70年の上に成り立っていると考え、過去の悲惨さと未来志向を混ぜたものにせよと言いたい。
率直に言えば、急に談話の発表をやめることもあり得るだろう。ただ、そうなった場合のリスクはなんだろうか?
我が国の安全保障や国際社会との信頼関係の構築、そうしたものにヒビを与えてはならない。
だからこそ戦後80年の談話は発表すべきだ。なお与党の公明からは核廃絶に向けた談話にすべきとの発言もあったが、正直に申し上げれば自民党が核廃絶の動きに慎重な以上は、
理想通りの談話にならないかもと思えるが、果たしてどうなるか注目です。