「花束みたいな恋をした」の絹ちゃんが好きになれないワケ
「花束みたいな恋をした」を見にいった。
モチベーションは、キュンキュンしにいきたいというより見下しに行きたいみたいな、ちょっとひん曲がった気持ちの方が強かったと思う。
案の定、登場人物の2人が好きになれなかったのだ。
特に、同性として絹ちゃんのような女性、というか人種がどうしても好きになれなかった。
だって自分がないんだもん。
流されやすい女。
監督は、意図的に世の中の「そこそこの女(人間)」を表現してるように思えてならなかった。
・初対面にして終電をなくし見知らぬ男の家に行く(これがないと物語は始まらないのだが)
・名前を覚えられてないと確信する知り合い男に誘われ、楽しみにしてた予定を変え夜ご飯に行く(その後見下されているとやっかむ)
・就活で「圧迫面接された」と泣く
(答えられることをしてこなかった自分の責任でもあるのでは?)
・自分との共通点があるというだけで(麦くん)好きになってしまう
もっと自分の人生を生きろよ、将来を描けよ、と見ていてイラついてしまう自分がいた。
自律、といってしまえばそれまでだが、
自分の思いや意見を持った人でないことを残念に思ってしまう。
一方「これが普通の大学生だよね」という制作者陣のアイロニーなのかもと思ったり。
これがヒット作で、「共感を呼んでいる」作品なんだということは、悲しくも絹ちゃんみたいな人が世の中に溢れているということなのか、と思った。
20代半ばの若手社会人が特に大ハマりしそうな作品だなと思いながらさっと劇場を1人後にしたのでした。
映画っていいよね、自分にはない経験や価値観を体感できるから。
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