ライター失踪!!私が徹夜で原稿書くしかなかった事件。
十数年前、私が広告制作会社に勤務していたときのこと。その頃はライターではなく編集者として仕事をしていたのですが、案件の予算やボリュームによっては自分で記事も書いていました。
しかし当時の私のメインジョブは、某大手新聞の夕刊の広告特集(4面)。キャリアアップを目指す女性向け企画だったので、経済や経営、自己啓発に関する記事がメインです。毎回大きな取材が3〜4件あり予算も良かったことから、私は編集に徹し、ライティングは外部の経済や経営に強いライターさんを起用していたのです。
短期間で数件の大きな取材を行うため、ライターを増員すべく新規に募集したところ、北海道にある有名大学文学部卒のライター(30代女性)の応募が目にとまり面接しました。彼女の学歴と職歴、そして実際会った時の真面目そうな雰囲気が決め手となり、トップを飾る第一特集の取材を依頼することになりました。
取材対象は、中小企業ではありますが女性ベンチャーということで注目も浴びていて業績も右肩上がりの会社(港区)です。
記事はライターさんが書きますが、私は編集者として毎回テレコを持って取材に挑みます。もちろんライターさんもテレコを持ってきます。普通なら。そう、普通の感覚の持ち主なら。
しかし、その時のライターが「テレコを忘れた」と言うんです。「まあたまにはそんなこともあるよね」と思い、私が録音したテープをライターさんに渡したのです。それが悲劇の始まり。締め切り日になっても原稿は届きません。電話しても出ません。履歴書に記載されていた北海道のご実家にかけても「伝えておきます!」と親御さんから言われたものの、折り返しなし。「これ絶対おかしいよね……」と思い社長に報告。「マジぃ? なんか嫌な予感するなぁー」と言われました。20時になっても原稿は届きません。社長は席を立ち笑顔で「さ、鬼龍院、そろそろ書き始めるか!」と私に言ったのです(笑)!!
私「すみません、テレコのテープあげちゃいました!」
社長「マジぃ!? じゃあもう想像で書くしかねえじゃん!!(笑)」
この非常事態で爆笑してきた社長に少しイラっとしましたが、今考えると社長が大騒ぎして焦りまくるより良かったなと思います。「やべえな」とざわついていた心が、社長の爆笑と余裕な振る舞いのおかげでポジティブになれたんですよ。命取られるわけじゃないしね、と。
私「けどちゃんと書けますかねえ……」
社長「鬼龍院ならできるよ、とりあえずやってみよう!」
普段はエロ話ばっかしてる社長ですが、いざという時は社員の気持ちをアゲてくれる出来た人間なのです。
で結局徹夜して書き上げました。テレコまわしつつも念のため、というかパフォーマンスでノートに超ざっくりと記録していたのが功を奏したのです。殴り書き程度のキーワードを元に、記憶と想像を膨らませまくりました。取材の時の自分を頭の中で再現したのです。どうしても記憶にも記録にも残せていなかった数字の部分だけ、取材対象の女性社長に電話して経緯を話し再度教えてもらいましたが。
そして翌日、出勤してきた社長が徹夜明けの私を見て「すげーじゃん!! 想像で書き上げたの!? よくやった!!」と笑っていました。そして「じゃあもうあのライターは追わなくてもいいな。連絡取れたとしても何も変わらないもんな」と。清々しい気持ちでしたね。で、N出版に無事納品し、大した赤字もなく平穏に校了。校了後、その出版社の担当のダンディ(現在A出版社で某媒体の編集長やってる)にも事後報告しました。「ほんとに!? 相談してくれれば僕も手伝ったのに……。お疲れだったね!!」とねぎらいの言葉をくださり、後日飲みに連れて行ってもらいました。
その後、この出来事は「ライター失踪。鬼龍院ついに想像で原稿書く」という奇跡の事件として会社で長きにわたり語り継がれることとなったのでした。お客さんからも「あ、想像で原稿書く鬼龍院さんおはよう!」とか、後輩からも「想像で原稿書く雪乃さん、1番に電話です!」などとからかわれたりもしたもんです。
いやほんと、”自分で書く” と決まるまでは嫌な汗が出まくりました。でも ”自分で書く” と心が決まると案外スッと当時の時間に入り込めるもんですね。記憶を辿っているうちに、自分自身をあの取材時にタイムスリップさせたような感じになれたのです。「よし、これはイケるな」と深夜に一人ほくそ笑んでいたことを覚えています。振り返れば良い経験でした。
この経験、私が ”憑依体質” というものについて考えたきっかけでもあり、 ”テレコに頼らない取材法” を習得したきっかけともなりました。それについてはまた後日、noteでお話したいと思います。