葛湯
一昨年の、桜には少し早い頃、友人が亡くなった。
その前年の秋にお見舞いに行ったのだけれど、その際には車いすだった。
そう簡単に会えないところにいたので、「もしかしたら」の声が遠くで聞こえていた。
二人とも少しの涙とたくさんの笑顔でお別れした。
「悲しくないよ。また、会おうね」
彼女はそう言った。
入院生活が長かった彼女には色々なものをおくった。
あまり負担にならないように小さなものを、そしてそう頻繁にではなく。
その中で喜んでくれたのが二條若狭屋の「不老泉」であった。
可愛らしい小箱にひとり分が入った、葛湯である。
種類にもよるが、麩焼きの千鳥とあられが入っていて、なんともお茶目である。
何より、とろりとした葛湯が身体だけではなしに、心まで温めてくれるようだ。
ほんのりとした甘さもほっとする。
その葛湯を楽しんでほしかった。
温まってほしかった。
葛湯を飲んでいる、その時間だけでもよいから。
北海道の秋は駆け足だ。
すぐに寒い冬がやってくる。
足元が寒いな、と感じたらこの葛湯が恋しくなる。
ちょっとしんどいな、と思ったときにもこの葛湯が欲しくなる。
そういえば、葛湯は私のおくり物の定番だ。
何かというと、秋から冬にかけては葛湯だ。
ねぎらいのとき、悲しみのとき、病み上がりのとき…
最近も葛湯をおくった方がいた。(二條若狭屋のものではなかったが)
その方も、悲しみの中にあった。
そのひと時だけ、元気を取り戻してほしい。
ちょっとお休みしてほしい。
それだけである。
それでいい。
私にとっての葛湯はそういうものであるかもしれない。
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