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「はい。こちら人事部特務課です」_第3話_創作大賞2024_お仕事小説部門



 翌朝、会社に着くと黒崎さんはもう仕事を始めていた。カタカタと少し強めのタイピング音だけが鳴る部屋。これを、まさに気まづい空気と言うのだろうか。
「おはようございます」
「……おはよ」
「あの、昨日はすみませんでした。生意気なこと言って。黒崎さんの言うことが正しいってちゃんと理解してます」
 黒崎さんは、俺を見た後、俯きつぶやいた。
「こちらこそ……言い方が悪くて、ごめん」
 よし、ちゃんと言った。黒崎さんも受け入れてくれた感じはするし、とりあえず、業務は一緒に出来る気がする。ほっとした俺は、自分のデスクへ向かうと、シュークリームが置いてあることに気がついた。
「これ……」
 黒崎さんの方を見ると、まだ俯いている。
「シュークリーム好きって言ってたから。飯野さんに相談したの」
 昨日はデスクを離れてから、飯野さんのところにいたのか。それに、コンビニで俺もシュークリームが好きだと言ったことを覚えていたのだ。つくづく不器用な人だと思う。少し笑う俺に、黒崎さんが目を上げた。
「おかしい?」
「いや、嬉しいです。シュークリームが好きってこと、覚えてくれてたのが」
 黒崎さんは無表情だが、いつもより柔らかい表情をしているように見える。飯野さんと話している時みたいだ。少し打ち解けられたのかもしれないと言葉を続けることにした。
「そういえば、黒崎さん。俺のこと、ちゃんと名前で呼んでくださいよ。みんな名前で呼んでるのに俺だけ"あんた"とか言うじゃ無いですか」
「……それは、佐々木顧問と苗字が一緒だから、呼びづらかった」
 佐々木と呼び捨てにしたら、じいちゃんを呼び捨てにするようだということか。正直、誰も気にしないようなことだと思うが。
「別に、佐々木が呼びづらいなら葵でも良いですよ。じいちゃんとか、同期の水木って奴も俺のこと葵って呼びますし」
 完全な無表情に戻った黒崎さんは「考えとく」と言って仕事に戻った。
 
 そこからは、うまく会話できるようになった。水木にはお礼を言わなければ。飯野さんにもだ。黒崎さんの言葉はシンプルな分キツイが、余計なことを言わないので仕事の指示は的確だ。俺たちは、篝火部長や田中さんにトラブルの経歴が無いかなど、何か糸口があるか分担して改めて洗い出すことに1日使った。まとめるとこうだ。

【篝火 真也 -カガリビ シンヤ-】
 所属:営業三部
 役職:部長
 年齢:41歳
 社歴:16年目
 性別:男性
 入社経緯:中途

 中途で入社。最初の数年間は営業二部で基礎を学び、入社9年目で年間営業成績2位となった。営業二部の課長に昇進し、新規顧客開拓プロジェクトを牽引。14年目に営業三部へ異動し、副部長の役職に。勤続16年目の今年、営業三部の部長に昇格し、30名の営業部隊を率いている。社内でのハラスメント等による懲戒処分歴は5年前に譴責が1件。

「これ、なんて読むんですか? ここ」
 【譴責】と言う字を俺は指差した。
「ケンセキ、よ。懲戒処分と一口に言っても、処分の軽いものから重いものまで6段階に分かれてるの。一番重いのが、懲戒解雇。わかりやすく言うとクビね。それで、この譴責が一番軽いわ。意味は厳重注意って感じ」
「じゃあ、篝火部長は、5年前に譴責されてるんですね」
「ええ。全ての議事録と提出された始末書もあるわ」
 黒崎さんから書類を受け取る。新人営業メンバーの業績が悪いことに関して、厳しいコミュニケーションを取ったという趣旨が記載されていた。
「個人的には受け取り方次第に見えちゃうレベルですけど」
「そうね。事実、処分も軽いわ。ただ、被害を受けた社員が適応障害の診断をもらっているから、会社としては対応せざるを得なかったでしょうね」
「なるほど。でも、処分は軽かったけど元々パワハラ気質ってことですよね。田中さんと何があったかは分からないですけど、何かしらトラブルを起こしててもおかしくない」
 黒崎さんは、少し考え込んでいる。俺は田中さんの方の資料に目を通した。

【田中 裕介 -タナカ ユウスケ-】
 所属:営業三部
 役職:一般職
 年齢:26歳
 社歴:4年目
 性別:男性
 入社経緯:新卒
 
 新卒で入社。営業三部に配属され、最初の1年間は先輩社員の指導の下で基礎的な営業スキルを習得。2年目からは自らの担当顧客を持ち、積極的に営業活動を展開。特に、地域密着型の中小企業との取引で高評価を得る。3年目には新人研修のサポート役を務め、新入社員の指導にも貢献しながら営業三部の年間成績1位となった。4年目の現在は、上半期の営業成績が2位。処分歴はなし。

 一通り目を通しても気になるところはない。田中さんはちょっと優秀な営業社員というところだ。俺は、年度末の表彰式で田中さんと会った時の会話を思い出していた。


 営業一部から三部までの全営業社員80名程度が参加する1年に1回の表彰式だ。結構大掛かりなイベントで、毎年品川プリンスホテルの会場を貸し切って行われる。ランキング発表と表彰のプログラムが終わり、立食の懇談に入った会場はザワザワと賑わっていた。
『あの……佐々木さん、ですよね?』
 声をかけてきた短髪の男性に、誰だったか? と、思考を巡らせていると自己紹介された。
『僕、営業三部の田中って言います。さっきの表彰式のスピーチ見てました!』
 営業三部で表彰されていた田中さんか。無邪気な笑顔で手を差し出される。俺は握手を返しながら、当たり障りなく自分の成果を謙遜した。
『ああ、ありがとうございます。2位の水木ってやつの追い上げがすごくてギリギリだったんですけど、なんとか今年も1位になれました』
『へー! ライバルがいたんですね!』
『ええ、まあ。毎年競い合ってる良いライバルです。田中さんこそ、三部のトップじゃないですか。おめでとうございます』
『いやいや、三部は中小企業担当ですから。佐々木さんがいる営業一部の大手法人部隊とは比べ物にならないですよ!』
 どこにでもある会話だ。田中さんと軽い談笑をしていると水木がシャンパングラスを持って近づいてきた。
『葵! やっぱりお前に1位は持ってかれたよ!』
『ギリギリだったんだって』
『そう言っていつも1位だろ。1回くらい2位の俺に譲れよな!』と、肘で小突かれ、田中さんの存在に気がついた水木は『えっと、こちらは?』と聞いてきた。
『営業三部で1位だった田中さんだよ。田中さん、こちらがさっき話した水木です』
『佐々木さんのライバルですね! ツートップと会えて嬉しいな!』
 田中さんは水木にも手を差し伸べ、握手を求めた。水木はシャンパンを持っていたからか、握手の代わりにグラスを掲げ『田中さん、1位おめでとう』と笑顔を向けていた。
 

 特に、変わったことはない。俺が会話した一瞬も、経歴も、田中さんに問題があるようには思えない。他社員からも聞き取りなど出来るのだろうか。もし出来るなら、営業三部へ異動した水木に聞いてもいいかもしれないと考えを巡らせていると、内線が鳴り出し現実に引き戻された。なんとなく嫌な予感がして、俺と黒崎さんは目を合わせる。俺は内線を取った。

「はい。こちら人事部特務課です」


「おお。葵かね。黒崎クンもいるかい」
 じいちゃんからの電話だ。
「ああ、いるよ。今スピーカーにする」


 ボタンを押して、黒崎さんが声をかけた。
「佐々木顧問。お疲れ様です。黒崎です」
「葵も、黒崎クンもお疲れ様だね。早速、要件に入ろう。この間の田中くんに関する調査対応をしていたところだと思うが、ひとつ緊急の連絡があって電話したんだ」
 いつも伸びやかなじいちゃんの声が、今日は少しだけ硬い。
「今さっき、退職代行会社から田中くんの退職について連絡が入った」
 俺と黒崎さんは顔を見合わせる。なぜ、このタイミングなんだ。
「退職の理由については?」
「未回答とのことだ。退職代行会社は、依頼があればそれ通りにやるだけだからね。手続きをお願いしていいかね」
「ちょっと待って、じいちゃん。退職は承るしかないと思うけど、営業三部の篝火部長は5年前にパワハラで一度譴責処分になっているんだ。もし何かあったなら、このまま田中さんが退職するってだけで何も改善されない」
「なるほど。だが今回の件で、田中くんに対して篝火部長が何かした証拠があるのかね」
 証拠はまだ何も見つかっていない。じいちゃんの言う通りだ。俺は言葉が出てこず、じいちゃんが続けた。
「それに、もし何か田中くんが被害を受けていたなら、退職代行会社に理由をそのように言えばいいことだろう。何も言わないのは、なぜだと思うのかね」
 黒崎さんは眉間に皺を寄せ、考え込むように目を閉じ顎に手を当てている。
「それは……理由を言いたくないか、言えない理由があるか……」
 じいちゃんに聞かれても、具体的なことは何ひとつ出てこない。押し黙っていると、隣で聞いていた黒崎さんが目を開け、背筋を正した。
「佐々木顧問。田中さんには3日の有給が残っています。退職理由について未回答なら、即日退職したい理由も特にないはずです。当人にとってはもう会社に来ることなく給料が増えるだけですし。有休消化してもらった3日後を退職日としましょう」
「はっは! 黒崎くんにしては珍しいな。どういう心境の変化かね」
「私は……いつも通りです」
 黒崎さんの真っ黒な目に、少しだけ光が宿っているように見えた。
「いいだろう。退職代行会社にそのように折り返すよう指示を出そう。葵、黒崎クン、何かあると思うなら徹底して調べなさい。タイムリミットは3日後だ」
「「はい!」」
 声の揃った返事に「はっは! 同僚がいるのは良いことだな!」と、じいちゃんは笑って電話を切った。


「退職代行から電話がかかってきたの、なんでこのタイミングなんでしょうか」
「分からないわ」
 俺はじいちゃんからの内線前に考えていたことを黒崎さんに話そうと決めた。
「俺、営業三部にいる水木って同期と仲良いんです。元々一部で成績競い合ってたから、昨日も久々に飲み行ったりして」
「……人事部での情報、漏らしてないでしょうね」
「トラブルの情報とかについては、何も言わないように気をつけてましたから大丈夫かと」
 ジッとこちらを見据える黒崎さんの圧が強い。何か強い波動を出されている気がする。
「……黒崎さんっていう、同僚がいるんだって話はしましたけど」
 黒崎さんと言い合ってしまったことを相談したとは言えず、言葉を濁す。俺はギリギリで事実をちゃんと答えているはずだ。
「つまり、私の悪口ね」
「いや、そういうことじゃ」
「まあ、いいわ」と、無表情で俺の言葉を遮った黒崎さんが「それで、その水木さんがどうしたの?」と聞いてきた。
 一難去っただろうか。
「何か三部で変わったことだったりがないか、水木に聞き取りしてみるのはどうかなって」
 黒崎さんは少し考えたが、打つ手がないからか「慎重にね」と答えた。
 
 それから俺たちはどういう名目で水木に聞き取りをするかなどを話し合った。結局、俺が人事部の業務に活かすため、営業部ごとの雰囲気を聞いて回っているというテイにし、ライトな雰囲気で電話することにした。水木にはバレないよう、スピーカーモードで黒崎さんは聞くことに。黒崎さんのことを相談していたと水木が喋るリスクはあるが、背に腹は変えられない。ええい! と、アドレス帳をタップした。彼は忙しくなければ、必ずワンコールで出る。
 
 -プルルル
「おう! 葵。どうした?」
 やはりワンコールだ。腹をくくる。
「業務中に悪いな」
「いやいや、全然いいよ。黒ちゃんと仲直りできた?」
 終わった……。電話開始1秒だ。黒崎さんとのことを喋ったのも、黒ちゃんと水木が呼んでいることもダブルでバレた。黒崎さんはこちらを睨みつけている。
「あ、うん。それは水木のおかげで。ありがとう」
 お礼を伝え、水木にそれ以上話を深くさせないように、矢継ぎ早に電話の趣旨を伝えた。
 
「あー、部の雰囲気?」
「そうそう。水木は、営業一部も、三部も経験してるだろ。雰囲気が結構違ったりするのかなって」
「まあ、大きくは変わらないけど。強いて言うなら、三部は女の子が少ないな」
「お前、あんまりそういうこと言うなよな」
「モチベーションに関わるだろ」と笑っている。黒崎さんは、睨んでいる顔から呆れている顔に変わっていた。この人の無表情はどこかに行ったのかもしれない。やはり、水木への聞き取りは無駄だったかもしれないと、早々に電話を切ろうと思った。
「部長とか違うと、雰囲気が変わるのかなって思ったんだよ」
「まあ、三部の篝火部長は多少厳しい感じかな。あ、篝火部長といえば、俺らが昨日飲んでるとこ見かけたんだってさ」
「えっ。篝火部長が?」
「そんな驚くか? 部長が帰りに駅へ向かう途中で店の前から見えたって、よくある話だろ」
 黒崎さんの背筋が伸びる。
「なんか、言ってた?」
「いや、仲良いんだなってそれだけ!」
「そっか。ありがとな」
「おう。今度は黒ちゃんも誘って飲みに行こうな!」

 俺は電話を切り、恐る恐る黒崎さんの方を向いた。黒崎さんはこちらをじっと見ている。
「まず、私の呼び方についてと、私の悪口についてだけど」
 電話前に一難去ったと思っていた。が、電話を終えて2つ”難”が戻ってきたようだ。
「悪口じゃないんです。言い合っちゃったけど、どうしようかなっていう感じの相談で……。黒ちゃんって言うのも水木が勝手に呼び出したので……」
 一応、言い訳がましく否定してみる。
「これらについては、後でシュークリームを買ってきてくれればいいわ」
「え、あ、どうも?」
「それより今は」と、黒崎さんは無表情で言葉を続ける。
「もし篝火部長が何か隠しているとして、あなたと水木さんが飲んでいるのを見かければ、何か自分のことを聞き取りされているのかもって思うかもしれないわ」
 黒崎さんの興味は3つ目の"難"にあるらしい。確かに、黒崎さんの言う通りだ。最悪の場合、田中さんに退職するように圧をかけた、みたいなことがあるかもしれない。俺は自分の行動を瞬時に後悔した。
「すみません。軽率な行動でした」
「仕方がないわ。……きっと私と言い合ったのが、飲みに行った理由でしょうし」
 重たい沈黙が流れ、俺と黒崎さんは頭を抱えた。何か糸口はないだろうか。
 
 状況をまとめると、田中さんが来なくなって3日が経った。正確には、篝火部長が嘘をついた、休むという連絡があったという日を入れれば4日だ。田中さんが急に無断で会社を休み始めた理由は不明。社歴は4年目だし、営業成績も2位につけている。急に無断欠勤するような理由が見当たらない。

 一方、篝火部長にはパワハラでの懲戒処分歴が5年前に一度ある。篝火部長が田中さんの件にどのように絡んでいるかは分からない。ただ、俺と水木が飲みに行っていたことは知っていて、もし何か隠しているなら自分のことを聞き取りされていると思ってもおかしくない。

 そして、今日の退職代行からの電話……。
 
 しばらく考え込んでいると、社用携帯のバイブレーションが鳴って現実に引き戻された。

「田中さんのお父さん!」
 


>前話
・第1話
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・第2話
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>後話
・第4話
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・第5話
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