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「はい。こちら人事部特務課です」_第4話_創作大賞2024_お仕事小説部門
「はい。SSK株式会社の佐々木です」
スマホの画面をタップしスピーカーモードにする。
「ああ、お世話になります。先日、お電話いただいた田中祐介の父です」
「折り返しありがとうございます! 実は、祐介さんが3日前から会社に来ていなくて。連絡もない状態でしたから、心配になってお父様にご連絡した次第だったんです」
「なんとまあ。うちのバカ息子が、ご迷惑おかけして申し訳ありません」
無邪気で明るい田中さんのお父さんは、意外にも硬派な感じだ。
「いえいえ、そんなことないですよ。でも、あの……。実は先ほど、退職の交渉を代行する会社から電話がかかってきまして。祐介さんが退職したいと」
「自分で掛けてきたんじゃないんですかえ。あんのばかタレが。しっかりせん息子で申し訳ないです」
訛りと方言が出てきた田中さんから、電話越しにも動揺が感じられる。
「去年は会社で表彰された言うて喜んどったから、上手くやってるんだとばかり思うとりました。それで、急に祐介の勤め先から電話かかってくるなんて、なんか悪いことでもしとんじゃないかと思うて。昨日祐介に連絡したんですが、わしも繋がらんかったのです」
黒崎さんは俺たちの会話を聞きながら、無表情のまま手を顎に当てている。感情は見えないが、これは考えている時の顔だ。
「そう……だったんですね」
「ええ。わしは兵庫で農家をしとりますから、東京におる祐介とは正月と盆くらいにしか会わんのでして。社会人ですから、連絡くらいちゃんとせえと電話繋がったら言うときますわ。ご迷惑お掛けしてすみませんです」
「とんでもないです。弊社に問題があったからかもしれませんから。ご協力ありがとうございます。また何かありましたら、私までご連絡ください」
電話を切り、ため息をひとつついた。有益な情報はなかった。それどころか、お父さんも連絡を取れていなかった。
「俺、明日田中さんの家行ってきます」
「ダメよ。退職したがってる人間の家に押しかけたりして、トラブルになったりしたらどうするのよ」
「でも、田中さんのお父さんも連絡がついていないみたいですし」
「それは本当か分からないわ」
「えっ。でも嘘をつくようなタイプの人には思えないですよ」
「同感よ。人間は、口ではなんとでも言えるってだけ」
確かにそうだ。現に篝火部長だって、休みの連絡が来たと嘘をついた。
「残り、3日ですね。もう手掛かりが……」
「まだあるわ。ひとつだけ」
-ガチャリ
突然、特務課のドアが開いた。
「おっじゃま〜!」と、陽気な声で入ってきたのは用務員の飯野さんだ。
「なんだか暗い雰囲気だわ〜! 二人ともどうしちゃったのよぉ〜」
「飯野さん。急にどうしたんです?」
「そろそろ困ってる時じゃないかと思って遊びに来たのよ! そうでしょ? 黒ちゃん」
飯野さんは黒崎さんを見て微笑んだ。
「どういう意味です?」
飯野さんに椅子を差し出しながら黒崎さんは答えた。
「飯野さんが、手がかりを調べる最後の方法よ」
「あら、そんな風に言ってもらえると嬉しいわねぇ。でも今日は、ひとつじゃないの。これ」と、飯野さんは紙袋を差し出す。
受け取った中身には、SSKのロゴが入った会社のパーカーが入っている。これは表彰式の記念で配られたものだ。パーカーの下を探ると、メモ帳、ペンケースも入っていた。
「これは?」
「営業三部の田中さんのロッカーに入りっぱなしだったのよ。退職するのに持って帰らなかったのねぇ」
情報が早すぎる。一体何者なのだこの人は。混乱した顔をする俺に黒崎さんが話し始めた。
「飯野さんには、特務課の業務を手伝ってもらってるの。普段は用務員さんとして働いてもらっているけど。こちらは非公式よ。社内で、ここだけの情報とかを教えてもらったり」
「じゃあ、最後の手段ってこれですか? これを届けにいく口実だったら、田中さんの家に行ける!」
「あらぁ、葵ちゃんったら仕事熱心ねぇ。嫌いじゃないわ。でも不正解よ〜」
「え?」
「私が出来る黒ちゃんのお手伝いは、情報屋としての役割よぉ。アナログとデジタルの両面からね」と、飯野さんはウィンクしている。
黒崎さんは目を逸らしているが、淡々と説明を始めた。
「篝火部長が嘘をついてると分かったのは、飯野さんのおかげよ。電話履歴を調べてもらったの」
俺の異動初日に『水面下の方が、色々な情報が入ってきやすい』と、じいちゃんが言っていたのを思い出す。
「まあ、シュークリームで動く安い女よぉ」と、飯野さんは笑った。
「飯野さん、退職代行会社の件、調べてもらえますか」
黒崎さんは飯野さんにパソコンを渡した。
「もちろんよ〜! 葵ちゃんのおじいちゃんから、既に退職代行会社の情報はもらってるからねぇ」
そうか、俺とじいちゃんの関係とか、始めからそういう情報も全て筒抜けなのだ。営業一部で成績がトップというだけで俺のことを用務員さんが知っているわけない。
「今日はもう遅いし、明日一気に動きましょう。私は飯野さんと一緒に調査するわ。それ、田中さんへ届けにいく?」
黒崎さんは、田中さんの荷物が入った紙袋を指差した。
「はい。俺は、届けに行ってみます」
こうして、最後の3日間の戦いが始まった。
翌日、俺は田中さんの自宅へ電車で向かっていた。埼玉方面へ向かう電車は、午前中ということもあって空いている。電車の揺れる音だけが響く車内で、果たして田中さんは自宅にいるだろうかと考える。もし自宅にいたとしても、荷物を受け取るために出てきてくれるだろうか。さらには、話をしてくれるのか。不安はあるがとにかく行ってみるしかない。改めて田中さんの荷物が入っている紙袋の中を見た。そうだ、メモ帳がある……。少し気は引けるが、何か手がかりになることがあるかもしれない。「田中さん、ごめん!」と、心の中で謝り、俺は田中さんのメモ帳を開くことにした。
黒い表紙に手のひらサイズ、至って普通のメモ帳だ。顧客との会話の内容や、おそらく研修などで教わったことなどがぎっしりと書かれている。このメモ帳を見る限りでもおそらく業務には熱心に取り組んでいたのだろう。パラパラとめくっていると【今年の目標、2年連続1位!】という殴り書きのページが出てきた。その下には【ライバルを作る!】という一文も添えられている。表彰式で、俺に話しかけてきた時のことだろう。きっと、水木という良きライバルがいたから頑張れたという解釈をしたのだ。実際、その通りである。
さらにページをめくり、白紙がしばらく続いた後、後ろのページにカレンダーがついていることに気がついた。もしかしたらこれは手掛かりになるかもしれない! はやる気持ちを抑えて8月のページを探す。5月、6月、7月……。田中さんが来なくなったのは8月5日、月曜日だから、8月2日の金曜日の予定は……。
【カガリビ部長、同行】
あった! 田中さんが来なくなる直前、篝火部長に営業の同行をしてもらっているということだ。やはり、この日に篝火部長と何かあったと考えるのが自然だ。俺はこの事を黒崎さんへすぐにチャットする。ちょうど、電車が最寄駅に着きアナウンスが流れた。荷物をまとめて、急いで電車を降りた。
もうすぐ正午を迎えようとする駅前は、日陰がなく茹だるような暑さだ。10分ほど住宅街を歩き、田中さんのマンションに到着する。汗だくだ。田中さんの住むマンションは5階建くらいで小さいめだが、オートロックのしっかりした造りである。エントランスには、観葉植物と一人がけのソファが端っこに置いてあった。俺は、田中さんの部屋番号である207を押す。
小さなエントランスに電子音が響く。
しばらく呼び出し音が鳴ったが、そのまま切れてしまった。やはり田中さんは居ないのか。もしかしたら、居留守を使われているかもしれない。1時間半程度かけてここまで来たが、無駄足かも……。もう一度部屋番号を押そうとした時、ヴーヴーと、スマホのバイブレーションが鳴った。画面を見てみると、黒崎さんからの着信だ。
「もしもし、黒崎さん。どうしました? 俺は田中さんのマンションに着いたんですけど、やっぱり居ないみたいで」
「よく聞いて。伝えたいことが2つあるわ。急ぎよ」
俺の言葉を遮り気味に話す黒崎さんの緊迫した声が、良くない知らせであること伝えている。
「ひとつ目、飯野さんが調べてくれて退職代行会社に連絡を入れた人が分かった。田中さんじゃなかったの」
遠くで「感謝しなさぁ〜い」と、いつもの調子の飯野さんの声が聞こえる。
「まさか! それじゃ、やっぱり篝火さんが?」
黒崎さんは、一呼吸置いて、ハッキリと言った。
「違うわ。……水木さんよ」
一瞬、頭が真っ白になる。どういうことだ。
「水木? なんでここで水木が出てくるんです?」
「もうひとつ大事なことを先に伝えるわ。今、その水木さんが田中さんの自宅へ向かっているらしいの」
「えっ。どうして」
「篝火部長を問い詰めたのよ。さっき送ってくれたメモ帳から、田中さんが来なくなる直前に同行してますよねって。そしたら、その日の終業後に水木さんと田中さんが2人で飲みに行っていたことが分かって」
「じゃあ、金曜日、田中さんは篝火部長に同行してもらったあと、水木と飲みに行っているんですね」
「そうよ。それで、篝火部長が月曜に朝イチで会社へ来た時に、水木さんがその飲みで田中さんを殴ってしまったと、報告されたって言うの。もう会社には来ないかもしれないって。とりあえず田中さんから休む連絡があったことにしてほしいと水木さんに頼まれた篝火部長が、欠勤連絡の嘘をついたのよ」
だんだん早口になる黒崎さん。なぜ? 水木が? 殴った? 知りたい理由が多すぎて思考が追いついていかなくなるのを感じる。
「ちょっと! 聞いてる!? それで、田中さんが会社を辞めることにしたって聞いた水木さんが、今日、謝りたいから自宅へ行くと相談があったって篝火部長が教えてくれたわ。謝る名目なんて絶対に嘘よ。篝火部長は水木さんが退職代行に電話していることを知らないから、行ってこいって送り出したそうなの。何かあったら危ないから、もうマンションに居るならすぐに離れて会社へ戻ってきて!」
一気に喋り切ろうとする黒崎さんの声に被せて、コツコツと革靴の響く音がした。
「あれ。葵? 何してんの?」
振り向くと、そこには水木がいた。
「ちょっと、ねえ! 聞いてるの!? ……葵!?」
急に目の前に現れた水木。静かなエントランスに響く、電話越しの黒崎さんの焦った声。キーンという耳鳴りに、鼓動が早くなっていくのがわかる。俺は思わず、電話を切った。
>前話
・第1話
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・第2話
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・第3話
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>後話
・第5話
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