人生年表その1
先日、KAT-TUNの亀梨和也さんがYoutubeチャンネルを設立されて。
私、彼と同い歳で。
ちなみに中学生の時にファンレター書いた記憶ある^^
と、話逸れちゃったんだけど、
そのチャンネルでね、自分の「人生年表」をあげられてたのね。
それを見て、私も取り組んでみようかなと。ふと。
ちょうど自分と向き合う時間取りたいと思ってたところだし。
というわけで、第何弾まで続くか知らんけど、とりあえず第一弾。
1986年2月2日生まれ。
両親にとっての第一子。長女。
母が里帰りした関係で名古屋生まれですが、
しばらくは東京に住んでました。
自分で言うのもなんだけど、小さい頃はとても愛されて育ったと思う。
あと、いわゆる英才教育的なやつ?で、
漢字カードやったりとか英語のアニメを見たりとか。
バレエやピアノも習ってたっけ。
そういえば幼稚園の時には、隣の席の男の子にプロポーズされたりもしたな。
…彼、元気にしてるかしら?
3歳の時に弟が生まれました。
4歳の時、親の仕事の都合で福岡へ。
習い事はバレエとピアノを引き続き。
あと、幼稚園のクラブで体操と英会話をやっていたような。
同じクラスに3人くらい仲のいい友達がいたかな。
それから、今でもなんとなく覚えているのは、
幼稚園で使っていた連絡帳などの名前の、
苗字のところが修正液で訂正されていたこと。
気持ち的にどうこうっていうよりは、ただただ、
修正液で直してあるなーっていう。
はい、途中で苗字が変わったのです。
両親は変わってないし、婚姻関係もあるのだけど、
ある事情で(話す機会があればまたその時に)。
小学校に上がると、分団登校。
片道1kmちょい。小学生にはなかなか厳しくない?
しかもね、その分団の長の6年生が怖い人でさ〜😱
彼女なりに楽しく登校を、と思ってのことだったのかもしれないけれど、
〇〇まで競争ね、って走らされるの嫌だったー!!
2年生になってからは公文式を始めることに。
これは割とポイントで、
このおかげで私は学力(英国数やってたけど、特に英語)が身についたし、
今でもその知識を活かして塾講師のお仕事ができています。
ただね、やっぱり大変だった。
途中までは楽しいのよ。
でも進んでいくとどうしても内容が難しくなってきてさ。
国語の要約問題とか、やってられっか!ってプリントくしゃくしゃにした記憶ある笑
んでこの頃には母もまぁまぁ厳しい人になっていて、
自分の学年よりも先のことやっているのに、できなくて当たり前なはずなのに、
「こんなこともできないなんて将来もう体売るしかないね」
とか言われてました。
年齢的に、体売るというのが具体的にどんなことかはわかっていなかったけれど、
母の言い草的にダメなことなんだ、ということはなんとなく感じていました。
そして、私はダメな子なんだ、というのがこの時から徐々に染み込んでいったのかなと、今となっては思います。
もちろんね、当時の母もマジで体売れよとは思ってなかったと思います。
叱咤激励的なニュアンスだったとは思うのよ。
でもね、当時はそんなことわからないじゃない?
言葉は言葉じゃない?
それが後々の私にどすんとのしかかってくるのです。
第一弾はここまでにしとくね。
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